国立新美術館で開催中の「ニキ・ド・サンファル展」へ行ってきた。一言で言うならば本当に良かった、自分の人生の分岐点となる展覧会の一つになったと思う。展覧会全体の感想というより、私のこの興奮と今感じている肯定感についてのブログになってしまうが、流れを追いつつ思い返したい。
展示は「アンファン・テリブル─反抗するアーティスト」から始まる。1953年、23歳の時に職業としての芸術家を選択したニキは、50年代後半にはピストルや剃刀を直接キャンバスに貼り付けるコラージュを製作する。61年2月から、彼女を一躍有名にした「射撃絵画」の製作がスタート。これはキャンバスに様々なオブジェ(人形やおもちゃ、生活雑貨など)とカラフルな絵の具の入ったボトルを貼り付けて石膏を掛け、それをニキが撃ち抜くことで絵の具が飛び散るというもの。
これを見るとまず、いや、あまりに巨大な自己矛盾ではないか?という印象を受ける。ピストルの破壊性を非難する作品を続けたあとに、「射撃絵画」は大聖堂に銃口を向けているのだ。この射撃は、絵画と彫刻の境界超越を示したと説明されており、あの一撃一撃は「(11歳のニキに性的暴行を加えた)父親への」、「自分を抑圧する男性性への」、そして「それらを甘んじて受け入れた過去の自分への」ものだったのかもしれない、と解説が為されているのだけれど、しかし真っ白なオブジェに飛び散るブルーやグリーンや鮮やかな赤の絵の具はあまりにポップでカラフルで、結局その暴力性にその華やかさを持って回帰してしまうのかという思いが拭いきれない…。そしてなにより社会性が強すぎる。もしこの展示が「(多くの場合暴力性を伴う)家父長制的社会の男性性と闘い続けた女性芸術家ニキ・ド・サンファルの先進性」みたいな方向に結論づけられていたら嫌だな…と思いながら作品を見た。
そのあとに続く「女たちという問題」。ニキは1963年10月、射撃を続けることにドラック漬けのような感覚を覚え「射撃絵画」に終止符を打つ。この頃ボーヴォワール『第二の性』を読み、強く影響を受けたと説明されている。
上の「赤い魔女」は、女性は単なる聖母マリア(中央)としての存在ではあり得ず、赤ん坊のようであったり(左ひざ)、男性を誘惑する娼婦のようであったり(魔女の左手は性器に向けられている)するのだ、これが私自身なのだ、と訴えた作品であった。ニキはのちに自分の作ってきた女性たちは自分自身であり、彼女たちは私とともに成長してきたのだ、というようなことを語っていた(うろ覚え)。
しかしこの時期の作品はあまりにグロテスクに過ぎる。女性たちは涙を流し、血を流し、出産という事象と闘い、男性性と闘い、苦悩に満ちている。
そして、ニキのイメージとなっている「ナナ」シリーズだ。本当に、完全に、ガラッと作品が変わる。明るくて、前向きで、開放的で、自分たちの人生そのものを全肯定するかのような女性像。そのきっかけは「友人の妊娠」と説明されている。友人の!妊娠!
「ナナ」たちは見ているだけで楽しく、一緒に踊りたくなるような空気感をまとっている。そしてこの頃から、ニキは男性を女性を抑圧するのではなく「バランスをとってともに暮らしていく」存在として認識し始めたように思う。例えば右の写真は「恋する鳥」という作品で、男性性を象徴する鳥と「ナナ」を共存させているように、女性性を一方的に語らなくなる。
ニキは"Calling Attention to Art"のインタビューで、今の社会に女性は実際には存在していないも等しい、だって社会の重要な決定ごとにはなに一つ関与できないんだもの、と語ったあと、こうも言っている。
"I think that men, that the feminine side of men is also crushed. He's as much a victim of this world he's created as we are."
男性の中の女性性、また女性の中の男性性、これらを私たちはジェンダー論争においてきちんと認識したことがあっただろうか?そして、この存在こそが私たちの唯一の救いなのではないだろうか?
現代社会は中心部において男性性を偏重している、ということは否定できないだろうとやはり思う。私はこれは仕方ないことだと思っていて、というのも(人生の主目的とされることの多い)一般的な労働において、男性性が強いことは明らかに優位となるからだ。しかし、男性たちもこの社会の在り方に苦しめられることがあるということを認識し、男女は「バランスをとってともに暮らしていく」ことができるというのは非常に大きな希望であるし、このインタビューを見て私の初めの懸念(この展示が「(多くの場合暴力性を伴う)家父長制的社会の男性性と闘い続けた女性芸術家ニキ・ド・サンファルの先進性」みたいな方向に結論づけられるのではないかというもの)は杞憂に終わったことを確信したのだった。
私たちにとって、芸術作品を目にしたり、小説や文学を読むことというのは、結局のところ自分の経験に対する追体験でしかない。追体験でしかないが、この行為は自分の過去の整理と意味の確認、将来への紐付けという、私たちの人生を形成する大きな要因となり得るのだ。
私にとってこの展示は救いだった。女性としての自分の存在が22歳現在でも確立できていないこと、性というものについて一つのはっきりとした答えを持っていないこと、こういたテーマは他の女性たちはあるいはもっと幼い頃に解決しているのではないか?いつまでもこんなことに囚われているのは非常につまらないことなのではないか?という思いが私にはあった。しかし、このテーマはニキ・ド・サンファルという一人の芸術家の、一人の女性の、一人の人間の、長い人生をかける主題となるのだということ、そしてそれは月日を経るにつれて必ず変化するものであること、答えなど存在しない、もしかしたら初めから必要ないのかもしれないということを今日私は理解したはずだ。こういうことを「理解する」のはなかなか難しいことで、自分の体に落とし込み、自分の常識の中に組み込むのはやはり体感によるところが大きい。月並みな言い方をすれば、「頭では分かっていても」本当に理解はできていないということは実際あるのだ。その理解のために芸術を体験することは、大きな助けになるということを知った展示だった。
いいじゃないか、私たちは女性で、男性で、ともに暮らしていく存在なのだ。前を向いて、胸を張って、明日も生きていこう。