全ての攻撃は自衛なのではないかと最近思う。
きっと皆、自分に足りないものを得ようとして他人を傷付け、満たされない思いを衝突させて悲嘆に暮れているのだ。人間も、彼らが構成する社会も。
少し前に、ある人がこんなことを言っていた。
「愛することを社会が個人に強制するのはおかしい。」
その人は、このような問題は個々人の自由裁量に任されるべきだという。
私はこう思う。愛は人間を抑制する最も強い力だと。愛されていない、或いは愛されているということを自覚しない人間は社会に、他人に切り掛かる。剣を抜いたままこちらを見つめる。そして社会は、自らを守り調和を保つためその大きな権威に依存する、それが愛だ。
社会という大きな存在が個人に何かを強要することはある意味とても暴力的で恐ろしいことのようにも思える。しかしそれも自らを守るための必死の抵抗だと思うと、なんだかとても愛おしいものに思える。
私は常に満たされていたい。
人を助けられる余裕を、自分のために使ってもあり余る力を、持ち続けていたい。人間が人に与えられるのは、ただその器から溢れ出た愛だけなのだと感じる日々だ。
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