2014年3月31日月曜日

モスクワ滞在記(前編)






3月16日から約一週間、モスクワへ行ってきました。
日露青年交流センターによる派遣プログラムで、日本全国から大学生100名が参加しました。せっかくなので(?)、滞在中の日記を載せます。

頭注
МГУ(エムゲーウー)モスクワ国立大学
・ГЗ(ゲーゼー)モスクワ大の学生寮
Медиа Маркет(メディアマルケト)大学のそばのショッピングモール



3月16日
飛行機の到着が一時間遅れる。11時間のフライトはきつかったが、ひたすら寝ていたらどうにか着いた。隣の席の日本人男性が前の席のロシア人女性と喧嘩していてだいぶ迷惑を被った。アエロフロートはS7よりはずっと綺麗で、乗客は私たち以外はほとんどロシア人だった。飲み物の注文をロシア語でしたら、一言なのにCAさんに喜ばれた。嬉しい。到着してからは、20人近いメンバーの荷物が届かず、シェレメツェヴォ空港で足止めを食らう。かなり体力を消耗していたので立っているのもやっとだった。ようやくГЗについたのは22時半で、日本時間だともう夜が明ける時間なのでさすがにきつかった。少なくともここ数年で一番体力的にこたえた気がする。体力的な疲れのせいもあるだろうが、とても寂しいし既に日本に帰りたい。というか湯船に浸かりたい。
大学の友達が今日までГЗにいて、明日の朝ペテルに発つというので会いに行った。元気そうで良かった。日本でしていたのと同じように、なんだかよく分からない話をしていたら元気も出てきた気がする。友達は偉大だなあ。




3月17日
バスでモスクワ市内を観光した。Весна не за горами(春はすぐそこ)という雀が丘に最近突然現れたらしい巨大モニュメントが気に入った。しかしまあ気温は氷点下なのでたぶん春はまだこない。アヴァンギャルドのあのкнигиポスター風に写真を撮った。気に入っている。
ロシア語の教科書を読んで自分の頭の中に作り上げていたモスクワの地図が、色を得て形を得ていくのはとても楽しかった。点と点が繋がって線になるってこういう感覚だろうなと思う。МГУの学生が学内を案内してくれたが、あまりに広いので疲れた。大学というか一つの街だ。ロシア人はなぜあんなに足腰が強いのか。
17時から講堂でのジャズコンサートへ行った。チェロ二人とピアノ、エレキギター、ドラムという構成で、この中にエレキギターが馴染めるものなのだなあと感心してしまった。音楽のことは全く分からないけれど。チェロのおじさんが熱心に曲の説明をしてくれていたが、半分以下しか理解できなかった。如何せん音楽分野の語彙が少ない。せめて受動語彙は増やさないといけない。しかし音楽は言語の違いなどを考えずのんびりと楽しめて良かった。楽器ができる人は素敵だと改めて思う。
夕食後Медиа Маркетの中に入っているАшанというスーパーへ行き、祖母へのお土産にマトリョーシカを買った。ナイーブや洗剤のアタックなんかが700ルーブル(約2100円)で販売されていた。パッケージもそのままだしどう見ても転売だが、Made in Japanなんて書かれてブランドイメージで売るような販売の仕方だった。日本の洗剤がロシアの硬水で実力を発揮するのかは謎だ。ともあれ、現金をほとんどUSドルで持ってきていてまだ両替出来ていないので、早く銀行を見つけたい。





3月18日
1624教室でМГУについての講義があった。アジアアフリカ学部の学生が日本語でやってくれた。木製の講堂はとても素敵だったし、机に相合傘の落書きがしてあるのを見てなんだか微笑ましくて笑ってしまった。こういうのは万国共通なのかな。
講義のあと、28〜24階にある地球博物館を回った。そこの職員がガイドをしてくれ、ボランティアのロシア人学生が日本語通訳をしてくれたのだが、如何せん話の内容がツンドラ地帯の形成についてとかなので単語が分からず困っていたようだった。事前に内容を教えてあげればいいのになあ。私は巨大な斜方硫黄の標本を見て、硫黄はсераというのか〜なんて思いながら見ていた。この博物館が果てしなく広く、私を含む女子メンバーが数人脱落して部屋で休むことに。
一時間程度の休憩後、トレチャコフ美術館へ。何人か気に入った画家の名前を控えたので、本屋に行く時間があったら画集みたいなものを探したい。特にПукирев В.В.の《Неравный брак(不平等な結婚)》Крамской И.К.の《Неизвестная(見知らぬ女)》、《Лунная дочь(月の娘)》は素晴らしかった。『見知らぬ女』は見たことある人多いのではないかな。ロシアにそういう文化がないのか、そもそも日本特有の文化なのか分からないが、あまり絵のポストカードを売っておらず、気に入った絵は一枚もカードになっていなかったので美術館の図録を買った。装丁も立派で解説のページも素敵な図録なのでとても気に入っている。売店のおばちゃんに「ロシア語で書いてある方(英語版もあった)の画集をちょうだい」と言ったら隣にいた引率の教授に「Русская версия(ロシア語版)と言えば済むでしょ」と言われてしまった。厳しい。версияという単語を知らなかった。生活に必要な語彙が全く足りない。
グループの友達が昨日知り合ったという、МГУに留学中の早稲田の先輩にАшан方面へ連れて行ってもらった。最近Университетにできたばかりの丸亀製麺で夕食を食べた。毎日食事をしている学食が、食べられないほどまずいわけでもないが決して美味しくもない食事しか出されない(しかもメニューがほとんど変わらない)ので、うどんが感動するほど美味しく感じられた。ロシアン寿司もでていたが、米は日本米だし、うどんや出汁も全部日本から輸送しているみたいでとにかく嬉しかった。緑茶も飲めた。店内の電化製品もみんな日本製だった。みんなで延々と記念撮影をしていたら隣の席のロシア人女性に笑われてしまった。(一応「嬉しすぎてつい…ごめんね」みたいな釈明をしたら「いいのよ続けて」と言われた。笑う。)まだ日本を出て二日や三日しか経っていないなんて信じられない。そういえば大学のそばのСбербанк Россииで両替ができるらしい。気付くのが遅すぎる。明日にでも行きたい。





3月19日
バスでクレムリンへ行く。−5℃の吹雪の中屋外視察はさすがに笑うしかない。昨日かなり暑かったので今日は帽子を被らなかったのだが失敗だった。そもそもモスクワに手袋を持ってくるのを忘れた。寒すぎてカメラのシャッターが切れない。午前中はとにかく寒かった記憶しかない。本当に凍死するのではないかと思った。ムートンブーツを履いていたことだけが救いだった。ありがとうUGG、ださいなんて言ってごめんね。
そういえば7歳くらいの子どもたちが、私たちが寒い寒い言うのを真似して「サムイー!サムイー!!」と言ってた。可愛かった。もっと良い日本語を覚えてほしかった。12歳〜くらいの集団もいたのだけど、やたら私たちの写真を撮るし、手を振ってくるし、彼らはモスクワの子ではないのだろうか?日本人、というかアジア人ってこの辺でもそんなに珍しいものだろうか。動物園の展示動物になった気分だった。しかしみんな好意的で良かった。
19時から理系学部の学生が私たちのためにクラシックコンサートを開いてくれた。ショスタコービチも一曲演奏してくれた。意外とフランス人作曲家の曲が多かった。私はクラシックはバレエ音楽しか分からないので、帰国したらもっといろんな曲を聴きたいと思う。やはり知っている曲の方が実際の演奏を聴いた時の感動も大きい。物理学部棟はとても素敵だった。やっぱり木製の柱は良い。
だいぶ疲れが溜まってきたので早く寝よう。湯船に浸かっていないので足の疲れが全くとれない…


2014年3月14日金曜日

河口湖




旅行の素敵なところって、いつもと違う場所で、いつもと違う話ができることだと思います。なんでしょうか、東京と違う景色が、そんな気分にさせてくれるのです。

名所をたくさんまわる旅行より、のんびりとぶらぶらと歩きながら、一緒にいる人といつもはしないような話をする時間が好きです。


先日、山梨は河口湖へ一泊遊びに行きました。
ガイドブックやサイトだけを見てルートを組む、みたいなことがあまり好きではないので、行ってみて良さそうなところがあったら立ち寄ろう、という旅行でした(そういえば年明けの箱根もこんな感じだった)。河口湖なら、新宿から一時間に一本くらいバスが出ていますしね。


ひとつだけ決めていた目的地は河口湖オルゴールの森
箱根にあるガラスの森に行ったことのある方は、あんな感じを想像していただけるといいと思います。庭園と展示館、ショップ、みたいな感じ。本当に作りが似ているし名前も同じパターンなので今調べたら、両方ともUKAIというグループの施設のようです。

ここはそもそも河口湖の観光情報サイトかなにかで見つけたところで、そんなに広いわけではなさそうだしあまり期待していなかったのですが、本当にいいところでした。
まず、オルゴールの森といっても展示されているのはオルゴールだけでなく、オルガンやオートマタ、オーケストリオンなど幅広いのです。どれも素晴らしいものばかりで、幅13mのダンスオルガンは見た目もさることながら演奏もものすごい迫力ですし、ドイツ製の可愛い手回しオルガンは実際に自分で音を出すことができます。一定のスピードで曲を演奏するがなかなか難しいのですが。タイタニック号に搭載される予定だったオーケストリオンなんて、なんでここにあるんだろう…なんて思ってしまいます。
オートマタは愛らしいテディベアのものから、フルートを吹く少年や小鳥に歌を教える少女のものなど多様で、そしてどれも実演して見せてもらえます。ビスクドールというものはそもそもなんだか狂気のような雰囲気を感じるのに、それをオートマタにするなんて、一体どんな人が作ったのでしょう。
それから、庭園にはたくさんのバラが植えられていて、四月の終わりからはその美しさも楽しめるようです。ピークは六月だとか。バラ庭園は、園芸誌でも特集されるくらい立派なよう。ミュージアムショップにバラのものが多かったのもそのためですね。私はバラのジャムを買って帰りました。驕った感じのない、可愛らしい香りのジャムです。

ここがどれくらい素敵だったかというと、観光は二人ともこれで満足してしまって、翌日はぶらぶらして帰ったくらいなのです。
バラの咲く季節にまた行けたらいいな。



そういえば、私のOLYMPUS PEN lite E-PL3がすっかり不調になってしまって、どうやらレンズの問題らしいのですが、シャッターがおりなかったり撮れてもパソコンに読み込むとどの写真もひどいピンぼけだったりします。
16日からモスクワへ行くのに修理は間に合わないし、本体も古いのだからいっそE-PL6を買おうかとも迷うところでなかなか決まらないので、さしあたってNikonのD5000を持って行くことになりそう…あんなの首から下げて歩いてたら首がもげてしまいますね。ただ記録するだけならiPhoneのカメラでも十分かなあとか、いろいろと迷うところです。

こんな大学に通っておきながら言うのもなんですが、私は飛行機が怖くてあまり外国に行きたいという気持ちがないというほどなので(行きたいし現地に着いてしまえば楽しいのだけどそれ以上に飛行機が怖い)、アエロフロートで直行なんて今からだいぶ精神を削っています……


2014年3月9日日曜日

カズオイシグロ『遠い山なみの光』







カズオイシグロ作、小野寺健訳の『遠い山なみの光』を読みました。

原文の『A Pale View of Hills』が出版されたのが1982年、そしてこの日本語訳は84年に『女たちの遠い夏』という邦題で筑摩書房から刊行されました。(その後92年に邦題が『遠い山なみの光』に変更。)

故郷の長崎を去りイギリスで暮らす悦子の回想として語られる、戦後間もない長崎での生活は幻想的なベールに包まれています。
イシグロは五歳のときにイギリスへ移住し、日本での記憶はほとんどないといいますからこれは彼が考える「日本人らしい感性」なのでしょうが、それはあまりに現代の我々のものとかけ離れていて、不思議な違和感を覚えながら読むこととなりました。

例えば、佐知子という女性ですが、彼女はちょっと「おかしい」人に見えるのです。あてにならない、何度も裏切られた男性に自分と幼い娘の未来を託したり、友人の悦子に当然の如くお金の無心をしたり(受け取ってその場で確認もせずお礼も言わず、自分のもののように鞄にしまう)、悦子に頼んで紹介してもらったうどん屋での仕事を本来自分がするべきでない卑しい仕事のように蔑んだり、娘が大切にしていた猫をその子の目の前で川につけて溺死させたり。何かがずれている人のように思えます。しかし作中での周りの人間の彼女への態度を見てみると、決してそういう風には思われていないようなのです。
悦子は比較的、私たちがイメージするあの時代の日本女性像そのものなので、この二人の女性の関係性がとても不思議に思えます。

しかし二人の女性はとても仲が良いように思えて、実は全く会話を成立させていません。互いの話を聞いていないのです。
双方とも相手に自分の主張をぶつけるのみで、悦子は現在の自分の肯定を、佐知子はアメリカへ行くことを選んだ未来への希望を語るという違いこそあれ、不安定な時代での自分の正しさを信じたいのだというなんだか悲しい意志が感じられます。

そしてこの本全体にかかっている不思議な霧のようなベールの理由に気付くのです。

登場する人間たちは全員が互いにこのような関係性の中にいる。

佐知子の娘である万里子、悦子の夫や義父、そして娘たち。彼らは誰も相手の話を聞いていないのです。言葉に応えてはいるのだけど、会話が行なわれているように見えるのだけど、結局彼らは最後まで、自分の信じていたものしか信じないのです。あの不思議さの理由は「日本人らしさ」という特徴の問題ではなく、きっと世界中に普遍的に存在するものだったのです。誰しもが傷つき、どうにかして立ち上がろうと必死だった激動の時代の、緩やかな抵抗を描いたのではないでしょうか。



この本の、特に会話の部分を読みながら、私は仏劇作家ジョルジュ・ポムラの『赤ずきんちゃん Le Petit Chaperon rouge』を思い出さずにはいられませんでした。例えば、以下は少女赤ずきんが祖母の家を訪れ、祖母の振りをするオオカミと会話する場面です。

しばらくして少女は(家の)中に入った。オオカミはおばあさんのベッドでシーツの下に隠れていた。
「あなたに言いたかったんだけど、おばあちゃんの家もあんまりいい匂いしないわよ。少し閉め切っていたような匂いがするわ。空気が澄んでいる時はもう少し頻繁にドアを開けた方がいいんじゃないの。外の方が本当に空気がいいわよ」
「本当ね、でもこっちへおいで。早く私にキスして欲しいんだよ。二人だけで落ち着いていられるんだから」
「まず私のフランを置きに行くわ。おばあちゃんのために作ったフランなのよ、お母さんがそうしろって言ったから」
「あらそうなの」
「じゃあまあ、それでもそこの腰掛けに座るわ」
「あなたのおばあちゃんに近づきたくないかのようね」
「そんなことないわ、ここまで来るために外を歩きすぎた足のせいで、少し休んでいるだけよ」
「ベッドの上の私のそばに座った方がもっと足を休められるはずよ」
「おばあちゃんのためにこのフランを作るように私に頼んだのはお母さんなの。フランの一部分でもいいから食べてくれて、おいしいと思ってくれるといいんだけど。お母さんは私が一人でフランを作れるとは思っていなかったの。彼女は私が本当に小さいと思っていて、結局人生において責任を負うことができるとは思っていないんだと思うわ。お母さんたちっていうのはいつだってこんなじゃない?まったく疲れちゃうわ」
「(待ちきれず)もっと私の近くにおいで」
「(ますます怖がって)私のお母さんと私はすごく気が合うんだけど、時々彼女を堪え難くなるの。私のことを子どもだと思っているんだもの」

原文はフランス語なので上記は稚拙ながら私の訳です。
何しろ万里子がこの少女に思えて仕方なかったのです、奔放なキャラクターがとても似ていて。
この場面では、空腹に耐えきれず早く赤ずきんを食べてしまいたいオオカミと、祖母の異変をなんとなく感じたであろう赤ずきんの会話にならない会話が描かれているのですが、赤ずきんは逃げるでもなくなんだか不思議な話のそらし方をして、最終的にはオオカミのそばへ自ら行ってしまうのです。



相手の話を耳に入れないことで行なう抵抗、主張、そういった類いのものを、私たちは幾度も目にしてきたはずです。共通していえることは、それらはいつも苦しんでいる人間が発する哀しい信号だということです。

邦題の『遠い山なみの光』はこの本の表紙に記されるべき名前としてふさわしいものだったと確信しています。
戦後の長崎で淡い光を求める人々と娘を失ってイギリスで暮らす悦子の、懸命な姿が丁寧に描き出された、美しい本でした。




2014年3月1日土曜日

ぐりとぐら展



松屋銀座で開催されている「誕生50周年記念 ぐりとぐら展」を見に行きました。

『ぐりとぐら』は私の大好きな絵本ベスト3には入る絵本で(ちなみに他はバムケロシリーズと『うさぎのくれたバレエシューズ』)、小さい頃眠る前に母によく読んでもらっていた記憶があります。

展覧会にはかなりの数の原画と初版本などが展示されているのですが、どれもその状態の良さに驚かされました。とても大切に保存してあったのだということが伝わってきます。
すこしアミューズメント的な空間構造になっていて、子どもたちがとても楽しそうでした。

50年前にはもちろん今のようなデジタル原稿はありませんから、ぐりとぐらは全て絵の具(特に記載はなかったけれどポスターカラーのように見えました)で描かれています。
原画を見て意外に思ったのは、塗りもざっくりしていて、大胆にホワイトを入れたり失敗したところに別の紙を重ねたりしているのだということでした。まるで迷いながら描いているような。私の周りには下絵が出来上がったら変更はしない人が多いので、こういう描き方も出来るのだなあと思いました。原画をそのまま出さず、印刷を前提としている故かもしれませんね。

物語を書いている中川さんは保育士をなさっていて、『ぐりとぐら』がどうして生まれたのか語る中で「私は若い子が大好きでね、その子たちを一番可愛い状態にして見られるのがこの仕事の醍醐味だと思いますよ」と言っていたのが印象に残っています。たくさんの子どもたちを育ててきた、本物の母性だなあと。

『ぐりとぐら』と言えば、誰しも一度はあのふわふわのカステラに憧れたことでしょう。
絵が写実的とか、そういうのではなくて、とにかく美味しそうなのですよね。ぐりとぐらが紐でくくって運んだ大きなたまごから出来上がる、黄金色のカステラ。たくさんの人が再現レシピを考案していますが、やっぱりあのカステラにはたどり着けません。
なぜって、これが絵本だからですよね。薄力粉がどうとか焼き時間がどうとかそういうのを全部飛び越えて、私たちにただ理想的な、あまりに強力な「美味しそう」という印象をぶつけてきているからなのだと思います。
(ちなみに私は宮崎駿監督作品に出てくる食べ物にもよく同じ印象を受けます。『ハウルの動く城』で城に入ったばかりのソフィーがハウルやマルクルと食べる朝食の目玉焼きとベーコン、『千と千尋の神隠し』でハクが千尋に食べさせるおにぎりとか。)

『ぐりとぐら』シリーズは七冊の絵本とかるたが出版されています。私は一冊目の『ぐりとぐら』しか特に覚えていなかったのに、驚いたことに原画を見ていたら全て思い出したのです。それも、母に絵本を読んでもらっている場面まではっきりと。
母は幼い私たちに「八時までにお布団に入ったら絵本を読んであげる」と約束していて、毎晩私と弟でそれぞれ好きな絵本を持って布団に飛び込んだものでした。きっとこの時間に『ぐりとぐら』シリーズも何度も読んでもらったのだろうと思います。しかも子どもなんて大人しく話を聞いているわけもなく、「それはこの方がいいのにねえ」とか「すみっこにうさぎがいる」とかいろいろ言うので全然話が進まないのです。毎日私たちが何冊も絵本をリクエストするので、「もう疲れちゃったよ」と母が言うと「じゃあ私がお話ししてあげる!」と私がその絵本のキャラクターで創作ストーリーを作って語っていたとかなんとか。

自分がこうして絵本を見て当時のことを思い出せたということはやはりとても嬉しかったのです。あんな幼い子どもに毎晩延々と読み聞かせをさせられた母の労力は決して無駄ではなかったのですね。笑

きっと私も自分の子どもにたくさんの絵本を読み、その中には『ぐりとぐら』も含まれているのでしょう。