2014年4月25日金曜日

カズオイシグロ『わたしたちが孤児だったころ』





カズオイシグロの『わたしたちが孤児だったころ』を読んだ。
読了後しばらく言葉を失い、冷めてしまった紅茶を前に必死で何か自分を救ってくれるものを探した。

イシグロが描いたのはある一人の少年が大人になるまさにその瞬間だったのではないかと思う。
ハドソンの探偵業は、幼少の頃アキラとしていたごっこ遊びと結局のところ変わらなかったのだ。仮に彼がその職業で収入を得、人々から羨望の眼差しを集め、英国社交界の中心に立つことになったとしても。

憧れは、時に相手を理想化してしまう。自らの中で形作られたヒーローに、希望や期待や「自分には為し得ないこと」を押し付けて、その偶像を心の拠り所にしてしまう。それが幻想だとどこかで気付いてはいても、それは靄のようにつかみ所のないものできちんと見つめることはできない。もしかしたら、自ら向き合うことから逃げているのかもしれない。
描かれているのはこの靄そのものだ。憧れていたクン警部、思い出の中のアキラ、そしてハドソンの両親。初めからなにか変だと分かっているのだ。一人の警部の力で中国中の平和が実現されるはずがない。仮に両親が誘拐され、クン警部の語る家に連行されたとしても、十年も同じ場所にいるわけなどない。中国人に取り囲まれていた日本兵がアキラである証拠などなにもない。分かっている。分かっているのだけれど、ハドソンは必死になってその靄の中を駆け抜けるしかなかったのだ。

そして少年が大人になるというのは、こうして作られたヒーローを失う時なのかもしれないと思う。或いは、自分がヒーローを失ったことを認める時というべきかもしれない。
ずっと何かおかしいと分かっていたのだから、事実を知らされたときにハドソンが受けるのは衝撃ではない。悲しみ、怒り、幼かった自分の無力さへの遣る瀬なさだ。

我々読者は、探偵というあまり馴染みのない職業の不思議さや、ハドソンが「明らかに目を向けないようにしている」、おそらくそこに存在するであろう事実になんとなく気付いているにもか関わらず、彼に同調する他ないのだ。頭を殴られるような衝撃を与えるのではなく、じわりじわりと我々の心に広がってく失望、それはまるでクロマトグラフィーを経たかのように分離してしっかりと跡を残す。
イシグロの綴る言葉は、一言一句として無駄なものがない。美しく、繊細で、哀しく、愛おしい一人の人生が、この中に流れている。


2014年4月23日水曜日

『アナと雪の女王』




ディズニーは確かに、『魔法にかけられて(Enchanted)』『塔の上のラプンツェル(Tangled)』そしてこの『アナと雪の女王(Frozen)』で新しいディズニープリンセス像を確立したと思う。この三作のお姫様たちは白雪姫、シンデレラ、オーロラ、アリエル、ベル、ジャスミンら、これまでにディズニープリンセスとして名を馳せてきたキャラクターとは、確実に一線を画している。(ただし『魔法にかけられて』のジゼルは映像の半分が実写であり、肖像権と報酬の問題からウォルト・ディズニー社の定義する「ディズニープリンセス」には加えられていないようだ)

元来、ディズニープリンセスとは美しく、上品で気高く、心優しい女性像であった。作品が違えど、彼女たちは常にその美しさで王子に見初められ、命を救われ、守られ、結婚して幸せに暮らしました、と物語は幕を閉じてきた。
『魔法にかけられて』はとても衝撃的な作品だったと思う。あのディズニーが、プリンセスストーリーをおとぎ話として扱い、プリンセスを現代ニューヨークに飛ばして(しかもジゼルはマンホールから登場する)現実世界との違いそれ自体を描く映画を作ったのだ。プリンセスがニューヨーカーたちから「頭のいかれた人」のように扱われる映画を。
そして続くラプンツェルとアナで「男性に守られるのではなく、自ら困難に立ち向かい戦う女性像」を主役に据えた。ラプンツェルはおてんばで、草原を転げ回り、友人は愛らしい犬や猫ではなくカメレオンのパスカル、部屋に忍び込んだフリンを殴って気絶させた挙げ句椅子に縛り上げる。アナは姉のエルサが大好きで、婚約者ハンスの制止も聞かずにエルサを追って一人で吹雪の雪山へと出かけて行く。道中、氷商人のクリストフに助けられながらも、決して彼に頼るようなことはない。この二作に共通しているのは、(『アナと雪の女王』ではそれがメインストーリーではないにせよ)決して一目惚れではなく、困難を乗り越えるうちに次第に惹かれあう二人が最終的に結ばれるというストーリーだ。

『アナと雪の女王』に象徴的なシーンがあった。まず、出会ったばかりのハンスと結婚すると言い張る妹のアナに、エルサが「出会ってすぐに結婚なんておかしい。あなたに愛が分かるの?」と否定するもの。それから、心臓にエルサの攻撃を受けてしまったアナが「魔法を溶かすには真実の愛しかないの」と婚約者ハンスにキスを迫るもの。どちらも、これまでディズニー映画が作り上げてきた「一目惚れ」とその「真実の愛」による男女関係の美しさを空想上のものとして扱う場面であった。しかも、アナが最終的に結ばれるクリストフは王子などではなく、山で暮らす氷商人なのだ。

ディズニーは自らの過去のプリンセスストーリーを過去のものとしてまとめあげ、新しい時代を切り開いた。
これはディズニーによる強い女性像や、男女同権がどうこうというような、そういうものへの強い支持の表明というわけではなく、単に時代に適応した結果なのではないかと思う。かつてのようなプリンセス像を主題とした映画をディズニーが作り続けていたら、きっと現代に生きる私たちは何かしらの違和感を感じたのではないだろうか。

『アナと雪の女王』が主題に描いたのはエルサとアナの姉妹愛だ。愛しい妹を守るために孤独を選んだエルサと、そうとは知らず自分の命を犠牲にしても姉を助けに行くアナ。その完成された美しい愛の中に、彼女たちの自らに関する葛藤、そしてクリストフの人間への愛が交わり、ディズニーの「夢と魔法」に包まれた102分が作られている。映画を観る前にも『Let it go』は何度も聴いていたのに、スクリーン上にエルサが氷の城を作り上げたときには鳥肌が立った。強く、痛々しいほどに美しい彼女自身のような城は圧倒的な存在感を見せた。
これこそディズニーアニメだろう。音楽、CG、テンポ、キャラクターたちの愛らしさ、どれをとっても圧巻だった。

2014年4月16日水曜日

『ミッドナイト・イン・パリ』



ウディ・アレン監督の『ミッドナイト・イン・パリ』を観た。
ゴッホの『月星夜(The Starry Night)』をアレンジして背景に入れ込んだポスターがとても愛らしい。日本で上映されていたのは確か二年前で、友達から良かったと聞いていたのをふと思い出して観ることにした。

余談だが『月星夜』といえば、5月にMoMAがこの絵を内側にデザインした傘を発売するらしく、これが結構チャーミング。黒い傘からちらりと絵が覗くなんて素敵。

さて、この映画のストーリーを紹介したい。
脚本家として成功を収めた若いギルは、婚約者のイネズとその両親とともに愛してやまないパリへ旅行にやってきた。ギルは脚本で莫大な収入を得ていながら、そのワンパターンさに飽き飽きしており、小説家に転身したいと考えて「ノスタルジーショップ」で働く男の物語を執筆中であった。安定した生活を求めるイネズはギルのそんな要望にうんざりしており、旅行先でたまたま出会ったイネズの友人ポールの出現などもあって二人は互いにすれ違い始める。そんなある夜、酔ってホテルへの道を忘れ街中をふらふらと歩いていたギルは、旧式の黄色いプジョーに連れられて社交パーティーに出かける。そこで出会った人々がフィッツジェラルド夫妻、コール・ポーター、ジャン・コクトーだと名乗りギルは驚愕する。彼は1920年のパリへやってきたのだった。

ギルはその後何度かタイムスリップを繰り返すのだが、さらにそこで出会うのは彼の崇拝するヘミングウェイ、パヴロ・ピカソとその愛人アドリアナ、ダリ、ルイス・ブニュエル、マン・レイなど錚々たる顔ぶれだ。ギルは絶世の美女アドリアナに一目惚れし、アドリアナも次第にギルに好意を寄せるようになる。そんなことをしているうちに現世の婚約者イネズには愛想を尽かされてしまうのだが、大好きな雨のパリの街にいながらにしてそんなことはギルにとってたいした問題でもなかったようだ。イネズとの関係の終わり方はあまりにあっけなくて面食らったが、変に延ばしてもこじれた恋愛を描く映画になってしまっただろうしあれが最適だったのかな。

物語の中盤、ギルとアドリアナがさらに過去へタイムスリップする場面がある。1920年代から二人が飛んだ先は輝かしいベル・エポックの時代。オートクチュールを生業とするアドリアナはうっとりした表情で、これこそパリの黄金期、私はここに残ると宣言する。ギルは、そんなことはない、パリの黄金期は1920年代であり、あんな素晴らしい時代はないじゃないかと語るが、アドリアナは聞く耳を持たないのだ。アドリアナにとっては1920年代が「現在」なのだから。

私は懐古主義的な人間なので、この場面にはくすりと笑ってしまった。結局いつの時代も、人間は自分が体験しなかった古い時代に思いを馳せるものなのだ。1920年に帰りたくないとごねるアドリアナに、ギルが「きっとベル・エポックの人々はルネサンスが最高だったなんて言うんだ!」といった感じのことを言うのだが、これこそがギル本人の懐古主義への疑念の発現であり、彼が一歩前に進んだ瞬間なのだろうと思う。現にこの映画のラストは2010年に戻ったギルが、以前出会った、コール・ポーターの曲を流す骨董店の女性と雨のパリを歩き出す映像で終わるのだ。素晴らしい終わり方だ。ギルが彼の人生を続けるにはこうするしかないし、イネズやアドリアナのことはいろいろとあったけれどもここはパリだし雨が降っているし、まあいいじゃないかという気分にさせる。観賞後の気分がとても良い。

さらにこの映画は、ひとまず物語やメッセージ性などを脇に置いても映像と音楽の美しさを楽しむことができる。トレーラーが「朝のパリは美しい」「昼のパリは魅力的」「夕暮れのパリにはうっとり」と語るように、パリの街並みの美しさをこれでもかというほど映し出している。
そしてその背景に流れる音楽も美しく、魅惑的である。コール・ポーターの『Let's Do It』は物語中に彼自身が演奏するシーンがあるのだが、この曲が2000年代と1920年を上手く繋いでいる。1920年にはコール・ポーター本人が登場して社交パーティーで演奏したかと思うと、2010年には骨董店でレコードが流れているといった具合だ。

そういえばポールに対して数回使われた「知識人ぶった」という意味の単語を忘れてしまったのだけど、何だっただろうか。気に入って私も使おうと思っていたのに悲しい。eggheadedではなくて、確かdで始まった気がする…誰か知っていたら教えてください。


2014年4月13日日曜日

『17歳』



フランソワ・オゾン監督のJeune et Jolie"を観た。邦題は『17歳』。東京では、シネスイッチ銀座で昨日まで上映されていた。
とかくフランス語は本当に美しい。気品あるマリーヌ・ヴァクトの気怠そうな唇から溢れる音は気持ちをとても高ぶらせる。この言語をきちんと自分の耳で全て理解したい。今年はフランス語の授業を取らなかったので、映画を観る機会を増やそうと思う。

さてこの映画は、名門高校に通い何の不自由もなく暮らす少女イザベルの、17歳という「美しくて愚かな」時代を描く。17歳になる夏、イザベルは家族で出かけたリゾート地でドイツ人の恋人と初体験を終える。その後彼女は変わっていき、季節が秋を迎えると、SNSで知り合った男性たちと密会を重ねるようになる。相手の男性の死を機に警察がイザベルの家を訪れ、両親に彼女の秘密が明かされてしまう。密会の目的を問われても、金のためでも快楽のためでもないと答えるばかり。


物語のはじめ、イザベルはドイツ人の恋人とのデートに淡いピンクのグロスを塗って出かける。弟に「どう?変じゃない?」なんて聞くと、「娼婦みたいだ」と言われて艶をおさえる。桜貝のような色の唇をした彼女はまだあどけない。
しかし、彼女が顔も知らない男性と会うために出かける時、駅で母親の服に着替えて唇に纏うのは真っ赤な口紅だ。それは少女が思い描く「大人の女性」の象徴なのだと思う。イザベルは、唇を赤く染めることで17という自分の年齢を隠した─あるいは、大人への憧憬、少女である自分との別離を求めたのかもしれない。

イザベルは亡くなった男性の妻に、17歳という年齢は「最も美しく、愚かな」歳だと言われる。もちろんイザベルはまだ若い。無知故の奔放さや自信を持ち、深い森のような目をしながらも、少し中を覗いてみると驚くほど幼いのだ。そしてその揺れるバランスがこの年齢の美しさであり、見る者を惹き付ける儚い光なのだと思う。
彼女の「密会」の目的がなんだったのか、物語の中できちんと言語化して明らかにはならない。しかし、それはきっとこの美しい年齢の女性が、何か刺激的で魅惑的で、普段の自分とは違う女性になれることに誘惑されてしまった、ただそれだけなのだろうと思う。きっとイザベルのような少女は、時が過ぎればそんなことはもうやめて「若さ故の過ちだったのよ」だなんて言う日がいつか来るのだ。



2014年4月12日土曜日

モスクワ滞在記(後編)

モスクワ滞在中の日記、後編です。


頭注
・Университет(ウニベルシテート)モスクワ大最寄りのメトロの駅。単語としては「大学」の意味
Дом Книги(ドムクニーギ)チェーンの本屋
Шоколадница(ショコラードニッツァ)チェーンのカフェ




3月20日
日露双方の学生によるsessionがあった。ペンタゴンの不思議な講堂で、プレゼンターたちが一人十分のプレゼンテーションをした。ロシア人学生はスライドにあまり文字を使わなかった。そういえば、日本人学生の中でも、外大生の世界認識は少し特殊なように感じた。耳にたこができるほど聞いた「globalization」は、多様性(もちろん言語においても)を保持したまま達成すべきものだという認識を私たちは持っている。しかし今日、何人かの学生のプレゼンテーションの中では英語教育の広域化、高度化によってそれは為されるのだという認識が前提として存在していたようだった。もちろんツールとしての英語の利便性を否定することはもはや出来ないけれども、それを非英語話者に強要するのはあまりに暴力的だし私は好まない。日本人が「日本人は英語が下手だから駄目だ」みたいな自虐をするのも嫌いだ。二年前の夏にオビ川の畔で「ロシア語よく分からないので英語で話してくれませんか」と尋ねた私に「ここはロシアだ、ロシア語を話せ」と返したおじいちゃんたちは正しかったと今は思う。(まあ当時は半泣きだったけれども。)
そのあと7階に移動し、昼食をとった。このプログラムのclosing ceremonyがあった。学生でもなかなか入れないらしい7階の講堂は荘厳で美しくて、上から聖歌隊の声が振ってきたときには感動で身が震えた。両国の大使館や外務省の人の挨拶が終わると、各グループからひとりずつ学生がスピーチをした。そしてなんと、学長が全学生ひとりひとりに修了証書を手渡してくれた!本当に嬉しい。威厳ある素敵なおじさまだった。いよいよ明日帰るのだと思うと寂しい。本当にあっという間だった。
夜は大学の近所の劇場に『白鳥の湖』を見に行った。美術館へ行った時も思ったのだが、この国の芸術に対する意識は私が理想としている在り方そのものである。つまり、芸術は大衆に開かれていなければならない。去年の春に森アーツセンターで開催されていたミュシャ展を訪れてから一層強く思っていることだ。平日の夕方、ちょっと近所に出かけるように子どもと一緒にバレエを観に行く。公演終了後、子どもたちがステージへ上がってダンサーに花を渡す。写真撮影も禁止されていないようで、「お静かに」のアナウンスもなし。
ただ一方で、そういう雰囲気のためか、バレエ自体はあまりレベルが高くなかった。見せ場の黒鳥32回転を23回しか回らなかったのは結構残念だった…。しかしたぶんこれはバレエ団の公演ではない、劇場のお抱えダンサーなのだろうか。





3月21日
初日に寮で会った友達に本を頼まれて、友達とДом Книгиへ行った。あの子は翌日ペテルへ行ったのだが、ペテルのДом Книгиには目当ての本がなかったらしい。メトロのチケットも、合ってるのかよく分からないが買えたのでまあよい。相変わらずチケット売り場のおばちゃんも無愛想だった。帰りにШоколадницаでカフェラテを飲みカリフォルニアロールを食べた。ロシアのサーモンは身が厚くて美味しい。ルーブルが余ったので、たくさん迷惑をかけた寮母さんに花束を買って帰った。三色のチューリップ。ロシア的文化の中で私が一番好きなのがカジュアルに花を贈るという行為で、街中にたくさんある花屋が24時間営業なのも分かるくらいロシア人はよく花を贈る。ビニールで巻いてリボンをかけただけのシンプルな花束だ。日本でも最近、青山フラワーガーデンがカジュアルに花を買うという文化の発展に寄与している気がする。贈るというより、「日常生活に花を」と自分で買う用だけれど。私の周りの男の子は「気障な感じがするからなかなか…」という人が多いのだけど、花束を贈るの、とても素敵だと思うので日本でも馴染むといいな。
午後は在露日本大使館へ行った。若手職員の方々との交流パーティーがあったのだが、意外と外大卒の人は少なかった。今日いなかっただけかもしれないけれど。大使館は、日本様式とロシアの生活スタイルが融合したとても不思議な空間だった。
大使館からシェレメチェボ空港まではひどい悪路で渋滞もしており、何人か体調を崩したようだ。どうして片側六車線もあってあんなに渋滞するんだろう…


3月22日
帰国した。昨日は出国手続きをした後、メンバーが次々に体調不良を訴え、かなり凄惨なフライトとなった。車酔いだと思っていたがどうやらノロか食中毒の集団感染のようだった。私は感染しなかったので食中毒かな。グループの子が一人、出国手続きをする前に医務室へ行ったのでモスクワに残ることができたが、出国手続きをしてしまった子たちは飛行機に乗るしかないと言われ、吐き気を訴えながら10時間のフライトを経験するはめになったようだ。最後の最後でこんなことになるなんて誰も思わなかっただろう。もともと私は飛行機が好きではないが、もう当分乗りたくない。
さて、今回の渡航は私にとって二度目のロシアだった。それなりにロシア語を勉強してからは初めてだ。その地域の言語を少し知っているだけで、こんなにも世界の見え方が違うのかと驚いた。前回、ノヴォシビルスクへ行った時はロシア語なんてほとんど分からなかったから、道行く人々の会話も「音」としてしか聞き取れなかった。ただ音として流れて行くだけなのだから、それは別に不快なものではないのだけれど、やはり寂しい。今回、私の僅かなロシア語知識があるだけで、当然だけれど得られる情報量がまるで違うし、相手のロシア人にとても喜ばれた。しかし、投げかけられた文章に、二つ三つ知らない単語が出てくる。早すぎて一部聞き取れなかったりする。その、私が理解できなかった言葉の意味を一瞬で考えなければいけないというのはかなりの労力を要した。もちろん私も何か返さなければならない。ネイティブの先生の授業のおかげか、日本語を介さずに直接ロシア語で思考してアウトプット出来た時もたまにはあったがそんなことは稀である。語学の授業で何度も言われてきたことだが、「正しい返答が出来なければなにも分かっていないことと同じ」なのだ。私はあなたの言ったことが聞き取れているしちゃんと理解しています、ということを示すためにきちんと返答をしなければならないのだ。
一週間という短い期間で、多くの貴重な体験をさせてもらったと思う。今のこの気持ちをバネに、今年度もロシア語の学習を続けたいと思う。ここまでくるとあとはとにかく語彙、語彙、語彙だ。