ディズニーは確かに、『魔法にかけられて(Enchanted)』『塔の上のラプンツェル(Tangled)』そしてこの『アナと雪の女王(Frozen)』で新しいディズニープリンセス像を確立したと思う。この三作のお姫様たちは白雪姫、シンデレラ、オーロラ、アリエル、ベル、ジャスミンら、これまでにディズニープリンセスとして名を馳せてきたキャラクターとは、確実に一線を画している。(ただし『魔法にかけられて』のジゼルは映像の半分が実写であり、肖像権と報酬の問題からウォルト・ディズニー社の定義する「ディズニープリンセス」には加えられていないようだ)
元来、ディズニープリンセスとは美しく、上品で気高く、心優しい女性像であった。作品が違えど、彼女たちは常にその美しさで王子に見初められ、命を救われ、守られ、結婚して幸せに暮らしました、と物語は幕を閉じてきた。
『魔法にかけられて』はとても衝撃的な作品だったと思う。あのディズニーが、プリンセスストーリーをおとぎ話として扱い、プリンセスを現代ニューヨークに飛ばして(しかもジゼルはマンホールから登場する)現実世界との違いそれ自体を描く映画を作ったのだ。プリンセスがニューヨーカーたちから「頭のいかれた人」のように扱われる映画を。
そして続くラプンツェルとアナで「男性に守られるのではなく、自ら困難に立ち向かい戦う女性像」を主役に据えた。ラプンツェルはおてんばで、草原を転げ回り、友人は愛らしい犬や猫ではなくカメレオンのパスカル、部屋に忍び込んだフリンを殴って気絶させた挙げ句椅子に縛り上げる。アナは姉のエルサが大好きで、婚約者ハンスの制止も聞かずにエルサを追って一人で吹雪の雪山へと出かけて行く。道中、氷商人のクリストフに助けられながらも、決して彼に頼るようなことはない。この二作に共通しているのは、(『アナと雪の女王』ではそれがメインストーリーではないにせよ)決して一目惚れではなく、困難を乗り越えるうちに次第に惹かれあう二人が最終的に結ばれるというストーリーだ。
『アナと雪の女王』に象徴的なシーンがあった。まず、出会ったばかりのハンスと結婚すると言い張る妹のアナに、エルサが「出会ってすぐに結婚なんておかしい。あなたに愛が分かるの?」と否定するもの。それから、心臓にエルサの攻撃を受けてしまったアナが「魔法を溶かすには真実の愛しかないの」と婚約者ハンスにキスを迫るもの。どちらも、これまでディズニー映画が作り上げてきた「一目惚れ」とその「真実の愛」による男女関係の美しさを空想上のものとして扱う場面であった。しかも、アナが最終的に結ばれるクリストフは王子などではなく、山で暮らす氷商人なのだ。
ディズニーは自らの過去のプリンセスストーリーを過去のものとしてまとめあげ、新しい時代を切り開いた。
これはディズニーによる強い女性像や、男女同権がどうこうというような、そういうものへの強い支持の表明というわけではなく、単に時代に適応した結果なのではないかと思う。かつてのようなプリンセス像を主題とした映画をディズニーが作り続けていたら、きっと現代に生きる私たちは何かしらの違和感を感じたのではないだろうか。
『アナと雪の女王』が主題に描いたのはエルサとアナの姉妹愛だ。愛しい妹を守るために孤独を選んだエルサと、そうとは知らず自分の命を犠牲にしても姉を助けに行くアナ。その完成された美しい愛の中に、彼女たちの自らに関する葛藤、そしてクリストフの人間への愛が交わり、ディズニーの「夢と魔法」に包まれた102分が作られている。映画を観る前にも『Let it go』は何度も聴いていたのに、スクリーン上にエルサが氷の城を作り上げたときには鳥肌が立った。強く、痛々しいほどに美しい彼女自身のような城は圧倒的な存在感を見せた。
これこそディズニーアニメだろう。音楽、CG、テンポ、キャラクターたちの愛らしさ、どれをとっても圧巻だった。
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