フランソワ・オゾン監督のJeune et Jolie"を観た。邦題は『17歳』。東京では、シネスイッチ銀座で昨日まで上映されていた。
とかくフランス語は本当に美しい。気品あるマリーヌ・ヴァクトの気怠そうな唇から溢れる音は気持ちをとても高ぶらせる。この言語をきちんと自分の耳で全て理解したい。今年はフランス語の授業を取らなかったので、映画を観る機会を増やそうと思う。
さてこの映画は、名門高校に通い何の不自由もなく暮らす少女イザベルの、17歳という「美しくて愚かな」時代を描く。17歳になる夏、イザベルは家族で出かけたリゾート地でドイツ人の恋人と初体験を終える。その後彼女は変わっていき、季節が秋を迎えると、SNSで知り合った男性たちと密会を重ねるようになる。相手の男性の死を機に警察がイザベルの家を訪れ、両親に彼女の秘密が明かされてしまう。密会の目的を問われても、金のためでも快楽のためでもないと答えるばかり。
物語のはじめ、イザベルはドイツ人の恋人とのデートに淡いピンクのグロスを塗って出かける。弟に「どう?変じゃない?」なんて聞くと、「娼婦みたいだ」と言われて艶をおさえる。桜貝のような色の唇をした彼女はまだあどけない。
しかし、彼女が顔も知らない男性と会うために出かける時、駅で母親の服に着替えて唇に纏うのは真っ赤な口紅だ。それは少女が思い描く「大人の女性」の象徴なのだと思う。イザベルは、唇を赤く染めることで17という自分の年齢を隠した─あるいは、大人への憧憬、少女である自分との別離を求めたのかもしれない。
イザベルは亡くなった男性の妻に、17歳という年齢は「最も美しく、愚かな」歳だと言われる。もちろんイザベルはまだ若い。無知故の奔放さや自信を持ち、深い森のような目をしながらも、少し中を覗いてみると驚くほど幼いのだ。そしてその揺れるバランスがこの年齢の美しさであり、見る者を惹き付ける儚い光なのだと思う。
彼女の「密会」の目的がなんだったのか、物語の中できちんと言語化して明らかにはならない。しかし、それはきっとこの美しい年齢の女性が、何か刺激的で魅惑的で、普段の自分とは違う女性になれることに誘惑されてしまった、ただそれだけなのだろうと思う。きっとイザベルのような少女は、時が過ぎればそんなことはもうやめて「若さ故の過ちだったのよ」だなんて言う日がいつか来るのだ。
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