2014年4月16日水曜日

『ミッドナイト・イン・パリ』



ウディ・アレン監督の『ミッドナイト・イン・パリ』を観た。
ゴッホの『月星夜(The Starry Night)』をアレンジして背景に入れ込んだポスターがとても愛らしい。日本で上映されていたのは確か二年前で、友達から良かったと聞いていたのをふと思い出して観ることにした。

余談だが『月星夜』といえば、5月にMoMAがこの絵を内側にデザインした傘を発売するらしく、これが結構チャーミング。黒い傘からちらりと絵が覗くなんて素敵。

さて、この映画のストーリーを紹介したい。
脚本家として成功を収めた若いギルは、婚約者のイネズとその両親とともに愛してやまないパリへ旅行にやってきた。ギルは脚本で莫大な収入を得ていながら、そのワンパターンさに飽き飽きしており、小説家に転身したいと考えて「ノスタルジーショップ」で働く男の物語を執筆中であった。安定した生活を求めるイネズはギルのそんな要望にうんざりしており、旅行先でたまたま出会ったイネズの友人ポールの出現などもあって二人は互いにすれ違い始める。そんなある夜、酔ってホテルへの道を忘れ街中をふらふらと歩いていたギルは、旧式の黄色いプジョーに連れられて社交パーティーに出かける。そこで出会った人々がフィッツジェラルド夫妻、コール・ポーター、ジャン・コクトーだと名乗りギルは驚愕する。彼は1920年のパリへやってきたのだった。

ギルはその後何度かタイムスリップを繰り返すのだが、さらにそこで出会うのは彼の崇拝するヘミングウェイ、パヴロ・ピカソとその愛人アドリアナ、ダリ、ルイス・ブニュエル、マン・レイなど錚々たる顔ぶれだ。ギルは絶世の美女アドリアナに一目惚れし、アドリアナも次第にギルに好意を寄せるようになる。そんなことをしているうちに現世の婚約者イネズには愛想を尽かされてしまうのだが、大好きな雨のパリの街にいながらにしてそんなことはギルにとってたいした問題でもなかったようだ。イネズとの関係の終わり方はあまりにあっけなくて面食らったが、変に延ばしてもこじれた恋愛を描く映画になってしまっただろうしあれが最適だったのかな。

物語の中盤、ギルとアドリアナがさらに過去へタイムスリップする場面がある。1920年代から二人が飛んだ先は輝かしいベル・エポックの時代。オートクチュールを生業とするアドリアナはうっとりした表情で、これこそパリの黄金期、私はここに残ると宣言する。ギルは、そんなことはない、パリの黄金期は1920年代であり、あんな素晴らしい時代はないじゃないかと語るが、アドリアナは聞く耳を持たないのだ。アドリアナにとっては1920年代が「現在」なのだから。

私は懐古主義的な人間なので、この場面にはくすりと笑ってしまった。結局いつの時代も、人間は自分が体験しなかった古い時代に思いを馳せるものなのだ。1920年に帰りたくないとごねるアドリアナに、ギルが「きっとベル・エポックの人々はルネサンスが最高だったなんて言うんだ!」といった感じのことを言うのだが、これこそがギル本人の懐古主義への疑念の発現であり、彼が一歩前に進んだ瞬間なのだろうと思う。現にこの映画のラストは2010年に戻ったギルが、以前出会った、コール・ポーターの曲を流す骨董店の女性と雨のパリを歩き出す映像で終わるのだ。素晴らしい終わり方だ。ギルが彼の人生を続けるにはこうするしかないし、イネズやアドリアナのことはいろいろとあったけれどもここはパリだし雨が降っているし、まあいいじゃないかという気分にさせる。観賞後の気分がとても良い。

さらにこの映画は、ひとまず物語やメッセージ性などを脇に置いても映像と音楽の美しさを楽しむことができる。トレーラーが「朝のパリは美しい」「昼のパリは魅力的」「夕暮れのパリにはうっとり」と語るように、パリの街並みの美しさをこれでもかというほど映し出している。
そしてその背景に流れる音楽も美しく、魅惑的である。コール・ポーターの『Let's Do It』は物語中に彼自身が演奏するシーンがあるのだが、この曲が2000年代と1920年を上手く繋いでいる。1920年にはコール・ポーター本人が登場して社交パーティーで演奏したかと思うと、2010年には骨董店でレコードが流れているといった具合だ。

そういえばポールに対して数回使われた「知識人ぶった」という意味の単語を忘れてしまったのだけど、何だっただろうか。気に入って私も使おうと思っていたのに悲しい。eggheadedではなくて、確かdで始まった気がする…誰か知っていたら教えてください。


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