2014年4月12日土曜日

モスクワ滞在記(後編)

モスクワ滞在中の日記、後編です。


頭注
・Университет(ウニベルシテート)モスクワ大最寄りのメトロの駅。単語としては「大学」の意味
Дом Книги(ドムクニーギ)チェーンの本屋
Шоколадница(ショコラードニッツァ)チェーンのカフェ




3月20日
日露双方の学生によるsessionがあった。ペンタゴンの不思議な講堂で、プレゼンターたちが一人十分のプレゼンテーションをした。ロシア人学生はスライドにあまり文字を使わなかった。そういえば、日本人学生の中でも、外大生の世界認識は少し特殊なように感じた。耳にたこができるほど聞いた「globalization」は、多様性(もちろん言語においても)を保持したまま達成すべきものだという認識を私たちは持っている。しかし今日、何人かの学生のプレゼンテーションの中では英語教育の広域化、高度化によってそれは為されるのだという認識が前提として存在していたようだった。もちろんツールとしての英語の利便性を否定することはもはや出来ないけれども、それを非英語話者に強要するのはあまりに暴力的だし私は好まない。日本人が「日本人は英語が下手だから駄目だ」みたいな自虐をするのも嫌いだ。二年前の夏にオビ川の畔で「ロシア語よく分からないので英語で話してくれませんか」と尋ねた私に「ここはロシアだ、ロシア語を話せ」と返したおじいちゃんたちは正しかったと今は思う。(まあ当時は半泣きだったけれども。)
そのあと7階に移動し、昼食をとった。このプログラムのclosing ceremonyがあった。学生でもなかなか入れないらしい7階の講堂は荘厳で美しくて、上から聖歌隊の声が振ってきたときには感動で身が震えた。両国の大使館や外務省の人の挨拶が終わると、各グループからひとりずつ学生がスピーチをした。そしてなんと、学長が全学生ひとりひとりに修了証書を手渡してくれた!本当に嬉しい。威厳ある素敵なおじさまだった。いよいよ明日帰るのだと思うと寂しい。本当にあっという間だった。
夜は大学の近所の劇場に『白鳥の湖』を見に行った。美術館へ行った時も思ったのだが、この国の芸術に対する意識は私が理想としている在り方そのものである。つまり、芸術は大衆に開かれていなければならない。去年の春に森アーツセンターで開催されていたミュシャ展を訪れてから一層強く思っていることだ。平日の夕方、ちょっと近所に出かけるように子どもと一緒にバレエを観に行く。公演終了後、子どもたちがステージへ上がってダンサーに花を渡す。写真撮影も禁止されていないようで、「お静かに」のアナウンスもなし。
ただ一方で、そういう雰囲気のためか、バレエ自体はあまりレベルが高くなかった。見せ場の黒鳥32回転を23回しか回らなかったのは結構残念だった…。しかしたぶんこれはバレエ団の公演ではない、劇場のお抱えダンサーなのだろうか。





3月21日
初日に寮で会った友達に本を頼まれて、友達とДом Книгиへ行った。あの子は翌日ペテルへ行ったのだが、ペテルのДом Книгиには目当ての本がなかったらしい。メトロのチケットも、合ってるのかよく分からないが買えたのでまあよい。相変わらずチケット売り場のおばちゃんも無愛想だった。帰りにШоколадницаでカフェラテを飲みカリフォルニアロールを食べた。ロシアのサーモンは身が厚くて美味しい。ルーブルが余ったので、たくさん迷惑をかけた寮母さんに花束を買って帰った。三色のチューリップ。ロシア的文化の中で私が一番好きなのがカジュアルに花を贈るという行為で、街中にたくさんある花屋が24時間営業なのも分かるくらいロシア人はよく花を贈る。ビニールで巻いてリボンをかけただけのシンプルな花束だ。日本でも最近、青山フラワーガーデンがカジュアルに花を買うという文化の発展に寄与している気がする。贈るというより、「日常生活に花を」と自分で買う用だけれど。私の周りの男の子は「気障な感じがするからなかなか…」という人が多いのだけど、花束を贈るの、とても素敵だと思うので日本でも馴染むといいな。
午後は在露日本大使館へ行った。若手職員の方々との交流パーティーがあったのだが、意外と外大卒の人は少なかった。今日いなかっただけかもしれないけれど。大使館は、日本様式とロシアの生活スタイルが融合したとても不思議な空間だった。
大使館からシェレメチェボ空港まではひどい悪路で渋滞もしており、何人か体調を崩したようだ。どうして片側六車線もあってあんなに渋滞するんだろう…


3月22日
帰国した。昨日は出国手続きをした後、メンバーが次々に体調不良を訴え、かなり凄惨なフライトとなった。車酔いだと思っていたがどうやらノロか食中毒の集団感染のようだった。私は感染しなかったので食中毒かな。グループの子が一人、出国手続きをする前に医務室へ行ったのでモスクワに残ることができたが、出国手続きをしてしまった子たちは飛行機に乗るしかないと言われ、吐き気を訴えながら10時間のフライトを経験するはめになったようだ。最後の最後でこんなことになるなんて誰も思わなかっただろう。もともと私は飛行機が好きではないが、もう当分乗りたくない。
さて、今回の渡航は私にとって二度目のロシアだった。それなりにロシア語を勉強してからは初めてだ。その地域の言語を少し知っているだけで、こんなにも世界の見え方が違うのかと驚いた。前回、ノヴォシビルスクへ行った時はロシア語なんてほとんど分からなかったから、道行く人々の会話も「音」としてしか聞き取れなかった。ただ音として流れて行くだけなのだから、それは別に不快なものではないのだけれど、やはり寂しい。今回、私の僅かなロシア語知識があるだけで、当然だけれど得られる情報量がまるで違うし、相手のロシア人にとても喜ばれた。しかし、投げかけられた文章に、二つ三つ知らない単語が出てくる。早すぎて一部聞き取れなかったりする。その、私が理解できなかった言葉の意味を一瞬で考えなければいけないというのはかなりの労力を要した。もちろん私も何か返さなければならない。ネイティブの先生の授業のおかげか、日本語を介さずに直接ロシア語で思考してアウトプット出来た時もたまにはあったがそんなことは稀である。語学の授業で何度も言われてきたことだが、「正しい返答が出来なければなにも分かっていないことと同じ」なのだ。私はあなたの言ったことが聞き取れているしちゃんと理解しています、ということを示すためにきちんと返答をしなければならないのだ。
一週間という短い期間で、多くの貴重な体験をさせてもらったと思う。今のこの気持ちをバネに、今年度もロシア語の学習を続けたいと思う。ここまでくるとあとはとにかく語彙、語彙、語彙だ。


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