2014年7月24日木曜日

Reminiscences




私は今までにもらった手紙を全て保存している。

誕生日のお祝い、旅行先から送ってもらったハガキ、励ましやお礼、気遣い、小学生の頃授業中にこっそり交換した他愛ないメモ、先生からの期待。
まとめてしまってあるので普段目にすることはないが、先日大掃除をした際にふと思い出し久しぶりに紐をほどいた。

変化する私のあだ名、キャラクター柄のメモ紙は年を重ねるにつれてレターセットとなり便箋となり、付き合いの長い友人の字が徐々に大人びていく。思い出を語りあう手紙がそれ自体思い出になっていくのを眺めながら、私が生きてきた過去・記憶のひとつひとつが鮮明に象られていく。
現在の自分は過去の積み重ね、とはいえ、時を経るうちに記憶は曖昧になりそれぞれの過去は淡く色を弱める。読み返す手紙は、色あせた絵にもう一度絵の具を重ねた。

大丈夫、私はしっかりと生きてきたじゃないか。
彼らに支えられている限り、今日も胸を張って歩いていこう、と思う。


2014年7月16日水曜日

チェチェンへ アレクサンドラの旅




『チェチェンへ アレクサンドラの旅』を観た。アレクサンドル・ソクーロフ監督の、チェチェン紛争を扱った映画だ。
ちなみに原題は<<александра>>なのだが、このアレクサンドラというのはとてもありがちなロシア人女性の名前で、画像検索をしてもほとんど映画関係の画像が出てこず(アレクサンドルという男性名があり、ご存知の通りこれは帝国時代の皇帝の名前でもあるのでそちらばかり出てくる)、ロシアではあまりそういう意味での広報力みたいなものは考えないのかなあなんて思った。

さて、偉大なオペラ歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤ演じる主人公アレクサンドラは、将校を務める孫のデニスに会いにチェチェンのロシア軍駐屯地を訪れる。驚くのはこの映画が実際に紛争地帯の最前線で撮影されていること、そして出演するほとんどのロシア人兵士(おそらくチェチェン人もだろう)が現地の本物の兵士だということだ。映画の撮影隊が訪れたことによる兵士たちのぎこちなさが、駐屯地を闊歩する80過ぎのおばあちゃんへのリアクションとして上手く生きているような気がする。
どうしたって変なのだ。遠くで爆発音が響き、戦車が大きな音を立てて出撃していくすぐ横をおぼつかない足取りのおばあちゃんがガラガラと大きな荷物を引いて歩いているなんて。目的が目的なら、きっと同じ舞台でコメディにだって出来ただろう。

デニスと別れる前の最後の日、アレクサンドラは孫を質問攻めにする。ガールフレンドはいないの?結婚をするつもりはないの?どうして?おばあちゃんが素敵なお嫁さんを見つけてきてあげるからね。
デニスはその質問の理由を知っていた。「おばあちゃんは俺たち兵士にもっと贅沢な生活をしていて欲しかったんだろう。今日このまま死ぬかもしれないっていうのに、これが最期の服になるかもしれないのに、こんな汗や泥に汚れた軍服を着ているのが悲しいんだろう。」

デニスは戦火という確実な死の近くを歩いている。そしてアレクサンドラにもまた老いという死が近づいているのだ。孫を心配するかのように現れた老婆は、夫の死後孤独への不安に襲われ続けていたのだった。「独りでいるのが嫌なの」と彼女はデニスに寄り添った。
逃れられない「死」の恐怖が、若い男と老婆の会話によって繊細に描かれている。


この映画のもう一つの大きなテーマはチェチェンでの紛争と抑圧だ。

アレクサンドラがバザールで友人になったチェチェン人、マリカは語る。
「ロシア人の兵士を見るとみんな幼いのよね。少年みたい。男の匂いがするけど子どもみたい。スラヴ人は全く違う人種ね」
「男は敵同士になるかもしれないけれど、私たちは最初から姉妹よ」

実際、マリカはロシア人であるアレクサンドラを家へ招き、心から歓迎する。彼女が友人を招く家の周辺がロシア兵によって破壊されているというのは何と苦しいことなのだろう。マリカはどうやらロシア文学の教授を務めていたらしく、とてもロシア語が上手い。そしてアレクサンドラを美しいロシア語でもてなす。しかしそれはマリカの言葉によれば彼女たちが女だからであって、チェチェン人のロシア人への友好的な態度を表しているわけではない。マリカにアレクサンドラを駐屯地まで送るよう支持された若者は、道中アレクサンドラに懇願する。

「お願いだ、僕を解放してくれ。もう限界だ」

アレクサンドラはロシア人だ。
若者がいったいどのような経験をしたのかは描かれないが、おそらく大切な何かをロシア人に破壊されたということは想像に難くない。
若者はアレクサンドラを殴り殺してしまうことだって出来ただろう。しかし彼は耐えた。必死な顔で自分を解放してくれと切願する彼をアレクサンドラは諭す。「青いわね、耐えないといけないのよ」
一体彼はどんな心境でこの言葉を聞いたのだろう?彼は結局、アレクサンドラを無事にロシア兵駐屯地まで送り届け、感謝を述べられることもないまま帰路につくのだった。

この映画が反戦的な姿勢をとっていることは疑う余地もないが、これは「静かな」平和への祈りなのだ。人が泣き叫び殴られ血を流すようなことはしない。怒りも悲しみも、信じられないほど静かで、そしてそのせいで一層私たちに強く訴えかけている。


2014年7月14日月曜日

オルセー美術館展 印象派の誕生─描くことの自由─





国立新美術館で開催中の、オルセー美術館展へ行った。
展覧会が始まって初めての土曜日であったため人は多かったが、入場制限がかかるほどではなかった。私は普段美術館へは平日に行くことにしていたので、土曜のように多様な人々と展覧会をともにするのも悪くないな、と思った。一緒に行った人でなくとも、他の人が口々に語り合う感想を聞いているのは楽しい。

1874年にパリで第一回印象派展が開催されてから140年。19世紀フランスを中心とした充実のコレクションを誇るオルセー美術館から、84点が六本木へやってきた。同時開催中の「バレエ・リュス展」はクセが強いと専らの評判だが、これは反対に、マネやモネなど日本人にも親しみやすい展覧会なのではないかと思う。

展覧会は全部で9章から成る。
散々ポスターに用いられた《笛を吹く少年》や《ピアノを弾くマネ夫人》といった「新しい絵画」としてのマネに始まり、その後はレアリスムや宗教的な歴史画、裸婦像、静物など描写対象ごとにテーマが分けられる。最後は「円熟期のマネ」であり、《ロシュフォールの逃亡》が私たちを見送る。

国立新美術館の以前の展覧会でいえば、一昨年(検索してあれがもう二年前だということに愕然としている…)の「大エルミタージュ展」ほどのボリューム感はないが、分かりやすくすっきりと気持ちのいい展覧会だった。「お行儀が良い」と言えば適切だろうか。


マネの《笛を吹く少年》は今回、この展覧会のポスター、図録の表紙だけでなく様々な展覧会グッズに用いられた。その理由がなんとなく分かったように思う。使いやすく親しみやすいのだ。背景は濃淡の織り混ざるグレー、その中に立つ少年は黒いジャケットと朱色のズボンを身にまとう。その色の塗り方は平面的で、例えば写真館で記念写真を撮ったような、これがアニメーションだったら、少年だけセル画で描かれているような、そんな印象を与える。つまり、人々は躊躇うことなく少年を背景から切り取ることができる。とてもキャラクターらしい。

私は展覧会へ行くといつも気に入った絵のポストカードを買うことにしており、今回はモネの《アルジャントゥイユの船着場》とシスレーの《洪水のなかの小舟、ポール=マルリー》を連れて帰った。一緒に行った人がそれを見て「こういう風景画ってポストカードにとても向いているよね」と言った。確かにその通りで、もったりとした雲や突抜けるブルー、明るい日差しはこのサイズと印刷物にぴったりだ。

絵は額に入れられて飾られているだけでなく、こうして我々の生活の中へ溶け込む。きっと、マネもシスレーも予想しなかった形で。
そんな中で、絵と直接出会ったときに目にしたあの筆跡を、あの質感を忘れずにいられたら、とても素敵なことだと思う。


2014年7月6日日曜日

愛、アムール





久しぶりに、映画を観てこんなにも涙を流した。
『愛、アムール(原題:AMOUR)』は、まさにその名の通り愛の具現化であり、使い古された言葉を使えば究極の愛そのものであった。
ミヒャエル・ハネケは、決して避けることのできない人間の老いと死、そして気高い尊厳を強く美しく描き出した。


「今夜の君は、きれいだったよ」
夫は妻に、いつものように語りかけた。
夫ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティ二ャン)と妻アンヌ(エマニュエル・リヴァ)。パリ都心部の風格あるアパルトマンに暮らす彼らは、ともに音楽家の老夫妻。その日、ふたりはアンヌの愛弟子のピアニスト、アレクサンドル(アレクサンドル・タロー)の演奏会へ赴き、満ちたりた一夜を過ごしたのだった。
翌日、いつものように朝食を摂っている最中、アンヌに小さな異変が起こる。突然、人形のように動きを止めた彼女の症状は、病による発作であることが判明。手術を受けるも失敗に終わり、アンヌの体は不自由に。医者嫌いの彼女が発した「二度と病院に戻さないで」との切なる願いを聞き入れ、車椅子生活となった妻と、夫は自宅でともに暮らすことを決意する。
当初、時間は穏やかに過ぎていった。誇りを失わず、これまで通りの暮らし方を毅然と貫くアンヌ。それを支えるジョルジュ。離れて暮らす一人娘のエヴァ(イザベル・ユペール)も、階下に住む管理人夫妻も、そんな彼らの在り方を尊重し、敬意をもって見守る。
思い通りにならない体に苦悩し、ときに「もう終わりにしたい」と漏らすアンヌ。励ますジョルジュ。ある日、夫にアルバムを持ってこさせたアンヌは、過ぎた日々を愛おしむようにページをめくり、一葉一葉の写真に見入る。
アンヌの病状は確実に悪化し、心身は徐々に常の状態から遠ざかっていった。母の変化に動揺を深めるエヴァ。それでも、ジョルジュは献身的に世話を続けた。しかし、看護師に加えて雇ったヘルパーに心ない仕打ちを受けたふたりは、次第に家族からも世の中からも孤立していく。
ついにふたりきりになったジョルジュとアンヌ。終末の翳りが忍び寄る部屋で、夫はうつろな意識の妻に向かって、懐かしい日々の思い出を語り出す――。
( http://ai-movie.jp/ より


愛とは何か?正しさとは何なのか?私たちに残される問いは簡単なものではない。
ジョルジュは正しかったのだろう。正しかった。アンヌもそれを望んでいた。なのにその正しさはこんなにも痛ましく、私たちに衝撃的な悲しみを与えるのだ。

この映画で描かれたのは夫婦愛というより、ジョルジュの、アンヌへの愛だ。ともすれば、思うように体を動かせず、家政婦に望まない扱いを受けることになる情けなさ、遣る瀬なさ、羞恥によって自尊心を傷付けられ、そして絶望と自らの死への望みを抱くアンヌに生を強いること、それこそが愛なのだろうか。それとも、やがてジョルジュが下す決定こそが愛だというのだろうか。

「愛とは何か?」
愛と恋の違いだとか、そんな語義的な話をしようというのではない。相手を思い、慈しみ、大切にする心は、結果としてどのような行動を人間に起こさせるのか。
ジョルジュの行動はエゴイズムに因ったと言われても否定はできないだろう。ジョルジュにとって妻を愛するということが結論を出す唯一の理由であって、しかしそれは一般化された愛ではないからだ。

この映画に「介護」という言葉はなんとも似つかわしくないと思うが、特にこの介護という領域において、自己を犠牲にした愛はやがて人間を破壊するのだと思う。受ける者も確かに人間だが、行なう者もまた人間でしかないのだ。それは身体的にも精神的にもいえることで、老いたジョルジュがアンヌの世話をすること、そしてそれがアンヌに望まれていないために感謝を得られないどころか悪態をつかれること、やがて愛する妻が認知においても安定を失うこと…それは単に「妻を愛していたから」出来たことだったと、私はいってもいいのだろうか。