2014年3月31日月曜日

モスクワ滞在記(前編)






3月16日から約一週間、モスクワへ行ってきました。
日露青年交流センターによる派遣プログラムで、日本全国から大学生100名が参加しました。せっかくなので(?)、滞在中の日記を載せます。

頭注
・МГУ(エムゲーウー)モスクワ国立大学
・ГЗ(ゲーゼー)モスクワ大の学生寮
・Медиа Маркет(メディアマルケト)大学のそばのショッピングモール



3月16日
飛行機の到着が一時間遅れる。11時間のフライトはきつかったが、ひたすら寝ていたらどうにか着いた。隣の席の日本人男性が前の席のロシア人女性と喧嘩していてだいぶ迷惑を被った。アエロフロートはS7よりはずっと綺麗で、乗客は私たち以外はほとんどロシア人だった。飲み物の注文をロシア語でしたら、一言なのにCAさんに喜ばれた。嬉しい。到着してからは、20人近いメンバーの荷物が届かず、シェレメツェヴォ空港で足止めを食らう。かなり体力を消耗していたので立っているのもやっとだった。ようやくГЗについたのは22時半で、日本時間だともう夜が明ける時間なのでさすがにきつかった。少なくともここ数年で一番体力的にこたえた気がする。体力的な疲れのせいもあるだろうが、とても寂しいし既に日本に帰りたい。というか湯船に浸かりたい。
大学の友達が今日までГЗにいて、明日の朝ペテルに発つというので会いに行った。元気そうで良かった。日本でしていたのと同じように、なんだかよく分からない話をしていたら元気も出てきた気がする。友達は偉大だなあ。




3月17日
バスでモスクワ市内を観光した。Весна не за горами(春はすぐそこ)という雀が丘に最近突然現れたらしい巨大モニュメントが気に入った。しかしまあ気温は氷点下なのでたぶん春はまだこない。アヴァンギャルドのあのкнигиポスター風に写真を撮った。気に入っている。
ロシア語の教科書を読んで自分の頭の中に作り上げていたモスクワの地図が、色を得て形を得ていくのはとても楽しかった。点と点が繋がって線になるってこういう感覚だろうなと思う。МГУの学生が学内を案内してくれたが、あまりに広いので疲れた。大学というか一つの街だ。ロシア人はなぜあんなに足腰が強いのか。
17時から講堂でのジャズコンサートへ行った。チェロ二人とピアノ、エレキギター、ドラムという構成で、この中にエレキギターが馴染めるものなのだなあと感心してしまった。音楽のことは全く分からないけれど。チェロのおじさんが熱心に曲の説明をしてくれていたが、半分以下しか理解できなかった。如何せん音楽分野の語彙が少ない。せめて受動語彙は増やさないといけない。しかし音楽は言語の違いなどを考えずのんびりと楽しめて良かった。楽器ができる人は素敵だと改めて思う。
夕食後Медиа Маркетの中に入っているАшанというスーパーへ行き、祖母へのお土産にマトリョーシカを買った。ナイーブや洗剤のアタックなんかが700ルーブル(約2100円)で販売されていた。パッケージもそのままだしどう見ても転売だが、Made in Japanなんて書かれてブランドイメージで売るような販売の仕方だった。日本の洗剤がロシアの硬水で実力を発揮するのかは謎だ。ともあれ、現金をほとんどUSドルで持ってきていてまだ両替出来ていないので、早く銀行を見つけたい。





3月18日
1624教室でМГУについての講義があった。アジアアフリカ学部の学生が日本語でやってくれた。木製の講堂はとても素敵だったし、机に相合傘の落書きがしてあるのを見てなんだか微笑ましくて笑ってしまった。こういうのは万国共通なのかな。
講義のあと、28〜24階にある地球博物館を回った。そこの職員がガイドをしてくれ、ボランティアのロシア人学生が日本語通訳をしてくれたのだが、如何せん話の内容がツンドラ地帯の形成についてとかなので単語が分からず困っていたようだった。事前に内容を教えてあげればいいのになあ。私は巨大な斜方硫黄の標本を見て、硫黄はсераというのか〜なんて思いながら見ていた。この博物館が果てしなく広く、私を含む女子メンバーが数人脱落して部屋で休むことに。
一時間程度の休憩後、トレチャコフ美術館へ。何人か気に入った画家の名前を控えたので、本屋に行く時間があったら画集みたいなものを探したい。特にПукирев В.В.の《Неравный брак(不平等な結婚)》とКрамской И.К.の《Неизвестная(見知らぬ女)》、《Лунная дочь(月の娘)》は素晴らしかった。『見知らぬ女』は見たことある人多いのではないかな。ロシアにそういう文化がないのか、そもそも日本特有の文化なのか分からないが、あまり絵のポストカードを売っておらず、気に入った絵は一枚もカードになっていなかったので美術館の図録を買った。装丁も立派で解説のページも素敵な図録なのでとても気に入っている。売店のおばちゃんに「ロシア語で書いてある方(英語版もあった)の画集をちょうだい」と言ったら隣にいた引率の教授に「Русская версия(ロシア語版)と言えば済むでしょ」と言われてしまった。厳しい。версияという単語を知らなかった。生活に必要な語彙が全く足りない。
グループの友達が昨日知り合ったという、МГУに留学中の早稲田の先輩にАшан方面へ連れて行ってもらった。最近Университетにできたばかりの丸亀製麺で夕食を食べた。毎日食事をしている学食が、食べられないほどまずいわけでもないが決して美味しくもない食事しか出されない(しかもメニューがほとんど変わらない)ので、うどんが感動するほど美味しく感じられた。ロシアン寿司もでていたが、米は日本米だし、うどんや出汁も全部日本から輸送しているみたいでとにかく嬉しかった。緑茶も飲めた。店内の電化製品もみんな日本製だった。みんなで延々と記念撮影をしていたら隣の席のロシア人女性に笑われてしまった。(一応「嬉しすぎてつい…ごめんね」みたいな釈明をしたら「いいのよ続けて」と言われた。笑う。)まだ日本を出て二日や三日しか経っていないなんて信じられない。そういえば大学のそばのСбербанк Россииで両替ができるらしい。気付くのが遅すぎる。明日にでも行きたい。





3月19日
バスでクレムリンへ行く。−5℃の吹雪の中屋外視察はさすがに笑うしかない。昨日かなり暑かったので今日は帽子を被らなかったのだが失敗だった。そもそもモスクワに手袋を持ってくるのを忘れた。寒すぎてカメラのシャッターが切れない。午前中はとにかく寒かった記憶しかない。本当に凍死するのではないかと思った。ムートンブーツを履いていたことだけが救いだった。ありがとうUGG、ださいなんて言ってごめんね。
そういえば7歳くらいの子どもたちが、私たちが寒い寒い言うのを真似して「サムイー!サムイー!!」と言ってた。可愛かった。もっと良い日本語を覚えてほしかった。12歳〜くらいの集団もいたのだけど、やたら私たちの写真を撮るし、手を振ってくるし、彼らはモスクワの子ではないのだろうか?日本人、というかアジア人ってこの辺でもそんなに珍しいものだろうか。動物園の展示動物になった気分だった。しかしみんな好意的で良かった。
19時から理系学部の学生が私たちのためにクラシックコンサートを開いてくれた。ショスタコービチも一曲演奏してくれた。意外とフランス人作曲家の曲が多かった。私はクラシックはバレエ音楽しか分からないので、帰国したらもっといろんな曲を聴きたいと思う。やはり知っている曲の方が実際の演奏を聴いた時の感動も大きい。物理学部棟はとても素敵だった。やっぱり木製の柱は良い。
だいぶ疲れが溜まってきたので早く寝よう。湯船に浸かっていないので足の疲れが全くとれない…


2014年3月14日金曜日

河口湖




旅行の素敵なところって、いつもと違う場所で、いつもと違う話ができることだと思います。なんでしょうか、東京と違う景色が、そんな気分にさせてくれるのです。

名所をたくさんまわる旅行より、のんびりとぶらぶらと歩きながら、一緒にいる人といつもはしないような話をする時間が好きです。


先日、山梨は河口湖へ一泊遊びに行きました。
ガイドブックやサイトだけを見てルートを組む、みたいなことがあまり好きではないので、行ってみて良さそうなところがあったら立ち寄ろう、という旅行でした(そういえば年明けの箱根もこんな感じだった)。河口湖なら、新宿から一時間に一本くらいバスが出ていますしね。


ひとつだけ決めていた目的地は河口湖オルゴールの森。
箱根にあるガラスの森に行ったことのある方は、あんな感じを想像していただけるといいと思います。庭園と展示館、ショップ、みたいな感じ。本当に作りが似ているし名前も同じパターンなので今調べたら、両方ともUKAIというグループの施設のようです。

ここはそもそも河口湖の観光情報サイトかなにかで見つけたところで、そんなに広いわけではなさそうだしあまり期待していなかったのですが、本当にいいところでした。
まず、オルゴールの森といっても展示されているのはオルゴールだけでなく、オルガンやオートマタ、オーケストリオンなど幅広いのです。どれも素晴らしいものばかりで、幅13mのダンスオルガンは見た目もさることながら演奏もものすごい迫力ですし、ドイツ製の可愛い手回しオルガンは実際に自分で音を出すことができます。一定のスピードで曲を演奏するがなかなか難しいのですが。タイタニック号に搭載される予定だったオーケストリオンなんて、なんでここにあるんだろう…なんて思ってしまいます。
オートマタは愛らしいテディベアのものから、フルートを吹く少年や小鳥に歌を教える少女のものなど多様で、そしてどれも実演して見せてもらえます。ビスクドールというものはそもそもなんだか狂気のような雰囲気を感じるのに、それをオートマタにするなんて、一体どんな人が作ったのでしょう。
それから、庭園にはたくさんのバラが植えられていて、四月の終わりからはその美しさも楽しめるようです。ピークは六月だとか。バラ庭園は、園芸誌でも特集されるくらい立派なよう。ミュージアムショップにバラのものが多かったのもそのためですね。私はバラのジャムを買って帰りました。驕った感じのない、可愛らしい香りのジャムです。

ここがどれくらい素敵だったかというと、観光は二人ともこれで満足してしまって、翌日はぶらぶらして帰ったくらいなのです。
バラの咲く季節にまた行けたらいいな。



そういえば、私のOLYMPUS PEN lite E-PL3がすっかり不調になってしまって、どうやらレンズの問題らしいのですが、シャッターがおりなかったり撮れてもパソコンに読み込むとどの写真もひどいピンぼけだったりします。
16日からモスクワへ行くのに修理は間に合わないし、本体も古いのだからいっそE-PL6を買おうかとも迷うところでなかなか決まらないので、さしあたってNikonのD5000を持って行くことになりそう…あんなの首から下げて歩いてたら首がもげてしまいますね。ただ記録するだけならiPhoneのカメラでも十分かなあとか、いろいろと迷うところです。

こんな大学に通っておきながら言うのもなんですが、私は飛行機が怖くてあまり外国に行きたいという気持ちがないというほどなので(行きたいし現地に着いてしまえば楽しいのだけどそれ以上に飛行機が怖い)、アエロフロートで直行なんて今からだいぶ精神を削っています……


2014年3月9日日曜日

カズオイシグロ『遠い山なみの光』







カズオイシグロ作、小野寺健訳の『遠い山なみの光』を読みました。

原文の『A Pale View of Hills』が出版されたのが1982年、そしてこの日本語訳は84年に『女たちの遠い夏』という邦題で筑摩書房から刊行されました。(その後92年に邦題が『遠い山なみの光』に変更。)

故郷の長崎を去りイギリスで暮らす悦子の回想として語られる、戦後間もない長崎での生活は幻想的なベールに包まれています。
イシグロは五歳のときにイギリスへ移住し、日本での記憶はほとんどないといいますからこれは彼が考える「日本人らしい感性」なのでしょうが、それはあまりに現代の我々のものとかけ離れていて、不思議な違和感を覚えながら読むこととなりました。

例えば、佐知子という女性ですが、彼女はちょっと「おかしい」人に見えるのです。あてにならない、何度も裏切られた男性に自分と幼い娘の未来を託したり、友人の悦子に当然の如くお金の無心をしたり(受け取ってその場で確認もせずお礼も言わず、自分のもののように鞄にしまう)、悦子に頼んで紹介してもらったうどん屋での仕事を本来自分がするべきでない卑しい仕事のように蔑んだり、娘が大切にしていた猫をその子の目の前で川につけて溺死させたり。何かがずれている人のように思えます。しかし作中での周りの人間の彼女への態度を見てみると、決してそういう風には思われていないようなのです。
悦子は比較的、私たちがイメージするあの時代の日本女性像そのものなので、この二人の女性の関係性がとても不思議に思えます。

しかし二人の女性はとても仲が良いように思えて、実は全く会話を成立させていません。互いの話を聞いていないのです。
双方とも相手に自分の主張をぶつけるのみで、悦子は現在の自分の肯定を、佐知子はアメリカへ行くことを選んだ未来への希望を語るという違いこそあれ、不安定な時代での自分の正しさを信じたいのだというなんだか悲しい意志が感じられます。

そしてこの本全体にかかっている不思議な霧のようなベールの理由に気付くのです。

登場する人間たちは全員が互いにこのような関係性の中にいる。

佐知子の娘である万里子、悦子の夫や義父、そして娘たち。彼らは誰も相手の話を聞いていないのです。言葉に応えてはいるのだけど、会話が行なわれているように見えるのだけど、結局彼らは最後まで、自分の信じていたものしか信じないのです。あの不思議さの理由は「日本人らしさ」という特徴の問題ではなく、きっと世界中に普遍的に存在するものだったのです。誰しもが傷つき、どうにかして立ち上がろうと必死だった激動の時代の、緩やかな抵抗を描いたのではないでしょうか。



この本の、特に会話の部分を読みながら、私は仏劇作家ジョルジュ・ポムラの『赤ずきんちゃん Le Petit Chaperon rouge』を思い出さずにはいられませんでした。例えば、以下は少女赤ずきんが祖母の家を訪れ、祖母の振りをするオオカミと会話する場面です。

しばらくして少女は(家の)中に入った。オオカミはおばあさんのベッドでシーツの下に隠れていた。
「あなたに言いたかったんだけど、おばあちゃんの家もあんまりいい匂いしないわよ。少し閉め切っていたような匂いがするわ。空気が澄んでいる時はもう少し頻繁にドアを開けた方がいいんじゃないの。外の方が本当に空気がいいわよ」
「本当ね、でもこっちへおいで。早く私にキスして欲しいんだよ。二人だけで落ち着いていられるんだから」
「まず私のフランを置きに行くわ。おばあちゃんのために作ったフランなのよ、お母さんがそうしろって言ったから」
「あらそうなの」
「じゃあまあ、それでもそこの腰掛けに座るわ」
「あなたのおばあちゃんに近づきたくないかのようね」
「そんなことないわ、ここまで来るために外を歩きすぎた足のせいで、少し休んでいるだけよ」
「ベッドの上の私のそばに座った方がもっと足を休められるはずよ」
「おばあちゃんのためにこのフランを作るように私に頼んだのはお母さんなの。フランの一部分でもいいから食べてくれて、おいしいと思ってくれるといいんだけど。お母さんは私が一人でフランを作れるとは思っていなかったの。彼女は私が本当に小さいと思っていて、結局人生において責任を負うことができるとは思っていないんだと思うわ。お母さんたちっていうのはいつだってこんなじゃない?まったく疲れちゃうわ」
「(待ちきれず)もっと私の近くにおいで」
「(ますます怖がって)私のお母さんと私はすごく気が合うんだけど、時々彼女を堪え難くなるの。私のことを子どもだと思っているんだもの」

原文はフランス語なので上記は稚拙ながら私の訳です。
何しろ万里子がこの少女に思えて仕方なかったのです、奔放なキャラクターがとても似ていて。
この場面では、空腹に耐えきれず早く赤ずきんを食べてしまいたいオオカミと、祖母の異変をなんとなく感じたであろう赤ずきんの会話にならない会話が描かれているのですが、赤ずきんは逃げるでもなくなんだか不思議な話のそらし方をして、最終的にはオオカミのそばへ自ら行ってしまうのです。



相手の話を耳に入れないことで行なう抵抗、主張、そういった類いのものを、私たちは幾度も目にしてきたはずです。共通していえることは、それらはいつも苦しんでいる人間が発する哀しい信号だということです。

邦題の『遠い山なみの光』はこの本の表紙に記されるべき名前としてふさわしいものだったと確信しています。
戦後の長崎で淡い光を求める人々と娘を失ってイギリスで暮らす悦子の、懸命な姿が丁寧に描き出された、美しい本でした。




2014年3月1日土曜日

ぐりとぐら展



松屋銀座で開催されている「誕生50周年記念 ぐりとぐら展」を見に行きました。

『ぐりとぐら』は私の大好きな絵本ベスト3には入る絵本で(ちなみに他はバムケロシリーズと『うさぎのくれたバレエシューズ』)、小さい頃眠る前に母によく読んでもらっていた記憶があります。

展覧会にはかなりの数の原画と初版本などが展示されているのですが、どれもその状態の良さに驚かされました。とても大切に保存してあったのだということが伝わってきます。
すこしアミューズメント的な空間構造になっていて、子どもたちがとても楽しそうでした。

50年前にはもちろん今のようなデジタル原稿はありませんから、ぐりとぐらは全て絵の具(特に記載はなかったけれどポスターカラーのように見えました)で描かれています。
原画を見て意外に思ったのは、塗りもざっくりしていて、大胆にホワイトを入れたり失敗したところに別の紙を重ねたりしているのだということでした。まるで迷いながら描いているような。私の周りには下絵が出来上がったら変更はしない人が多いので、こういう描き方も出来るのだなあと思いました。原画をそのまま出さず、印刷を前提としている故かもしれませんね。

物語を書いている中川さんは保育士をなさっていて、『ぐりとぐら』がどうして生まれたのか語る中で「私は若い子が大好きでね、その子たちを一番可愛い状態にして見られるのがこの仕事の醍醐味だと思いますよ」と言っていたのが印象に残っています。たくさんの子どもたちを育ててきた、本物の母性だなあと。

『ぐりとぐら』と言えば、誰しも一度はあのふわふわのカステラに憧れたことでしょう。
絵が写実的とか、そういうのではなくて、とにかく美味しそうなのですよね。ぐりとぐらが紐でくくって運んだ大きなたまごから出来上がる、黄金色のカステラ。たくさんの人が再現レシピを考案していますが、やっぱりあのカステラにはたどり着けません。
なぜって、これが絵本だからですよね。薄力粉がどうとか焼き時間がどうとかそういうのを全部飛び越えて、私たちにただ理想的な、あまりに強力な「美味しそう」という印象をぶつけてきているからなのだと思います。
(ちなみに私は宮崎駿監督作品に出てくる食べ物にもよく同じ印象を受けます。『ハウルの動く城』で城に入ったばかりのソフィーがハウルやマルクルと食べる朝食の目玉焼きとベーコン、『千と千尋の神隠し』でハクが千尋に食べさせるおにぎりとか。)

『ぐりとぐら』シリーズは七冊の絵本とかるたが出版されています。私は一冊目の『ぐりとぐら』しか特に覚えていなかったのに、驚いたことに原画を見ていたら全て思い出したのです。それも、母に絵本を読んでもらっている場面まではっきりと。
母は幼い私たちに「八時までにお布団に入ったら絵本を読んであげる」と約束していて、毎晩私と弟でそれぞれ好きな絵本を持って布団に飛び込んだものでした。きっとこの時間に『ぐりとぐら』シリーズも何度も読んでもらったのだろうと思います。しかも子どもなんて大人しく話を聞いているわけもなく、「それはこの方がいいのにねえ」とか「すみっこにうさぎがいる」とかいろいろ言うので全然話が進まないのです。毎日私たちが何冊も絵本をリクエストするので、「もう疲れちゃったよ」と母が言うと「じゃあ私がお話ししてあげる!」と私がその絵本のキャラクターで創作ストーリーを作って語っていたとかなんとか。

自分がこうして絵本を見て当時のことを思い出せたということはやはりとても嬉しかったのです。あんな幼い子どもに毎晩延々と読み聞かせをさせられた母の労力は決して無駄ではなかったのですね。笑

きっと私も自分の子どもにたくさんの絵本を読み、その中には『ぐりとぐら』も含まれているのでしょう。



2014年2月14日金曜日

honesty





これまで自分が正しいと思ってきたことが否定されるのはとても恐ろしいことです。それも、議論の末の否定ではなく、自分がそれまでと違うコミュニティに入ることで、また、違う人と深く接することで、彼らの「常識」にあっけなく否定されるのです。

私は中学高校時代を東京の片田舎の女子校で過ごしました。今思えば、中高というのはとても閉鎖的な空間で、私たちはそこで守られていたのでしょう。もちろん、当時はそんなことには気付かなかったのですけれど。
もうすぐ私が高校を卒業して三回目の春です。大学生になって三回目の春でもあります。この二年間、私は自分が「大学生」に染まらないように必死でした。大学も、大学の友人も好きですが、所謂「大学生」というものにとても抵抗感があるのです。
私にとっての正しさを作り上げたのは中高の友人と教師、そして両親祖父母でした。大学生らしさというのは、その正しさと対立するのです。友人のために尽くすこと。秘密を守ること。何かの目的に向けて全員で全力を注ぐこと。酒、煙草、性の排除。などなど。日頃こんなことを言葉にして意識しているわけでは全くないのですが、これが私の思う正しさでした。そしてそれが今、否定されているのです。

きっと私が友人にこのような話を相談されたら、今あなたはそこにいるのだからそのコミュニティの正しさに従う方が良いのではないかと答えるでしょう。客観的に見たら、そう思うのです。でも。今。それは嫌だと思って、机に向かっているのです。

結局のところ、社会のどこへいっても通じる唯一の「正しさ」というものは存在せず、故に私たちは「何が正しいか」ではなく「誰に正しいと思われたいか」を考える他ないように思います。私は誰に正しいと思われたいのかと考えると、何人かの顔が思い浮かびますが、その人々の中で既に正しさが一致していないとしたら。しかもそれが、とても重要なことについての認識だとしたら。
こんなことをしたら、あの人は悲しむだろうか。呆れるだろうか。でもそれが正しいからそうするべきだと、他の誰かは私に言うのです。

とても怖いのは、慣れることです。「まあいいか」と思うようになってしまうことです。最終的な結果がどうであれ、そんな風に流されてしまうのは絶対に嫌なのです。それが嫌で、必死で抵抗を続けているのです。



(写真:2013年1月、丸の内にて撮影)

2014年2月9日日曜日

a think about Gender equality




先日、友人がFacebookの投稿でこんなことを書いていた。

「大学の授業で、教師が日本における女性差別について語った際、日本に未だそのような差別があると前提にしていたのを疑問に感じた。私は日本に住んでいて差別を受けていると感じたことはなく、むしろ女性が権利を振りかざしているように思うことすらある。差別というのは嫌な気持ちになった程度ではなく生活に支障を来すものであり、『日本の女性は差別されている』と主張する女性は差別というものを甘く見すぎである。日本における女性差別の例としてしばしば国会議員の女性の割合が挙げられるが、職種によって男女の偏りが出るのは当然のことで、男女半々でなければ平等でないなどという考えはおかしい。」


彼女はジェンダー論の授業の後にこの投稿を書いたらしい。ジェンダー論を専門とする教授なのだから、その見方は職業的観点からするとまあ妥当であるとは思う。概してジェンダー論とは女性が弱い立場に立っていることを前提としているのだし。

彼女の言う通り、人数が男女半々でなければ平等ではないというのは全くの誤りであると思う。彼女が例にとった国会議員について言えば、被選挙権は男女等しく与えられているし、制度上女性の立場を弱めるような要素はない。
職種により男女比率に差が出るのは仕方のないことであり、それはこの社会を構成する人間一人ひとりが自分の望む職業を目指した結果として妥当である。人数に拘ると「男女比率を一定にしなければならないので女性であるあなたは国会議員の職に就きなさい」などというようなメッセージが暗に発せられる可能性も無きにしも非ずだ。それに、「政治に女性の新風を!」みたいなことを言う人は多いのであって、それはつまり「男女平等」からはかけ離れた意識があることを意味する。最近、男女比率維持のために女性枠のようなものを作る企業などの団体も見受けられるけれども、それもまた「平等」という観念からは著しく外れているのではないか。

この問題について話すとき、考えなければならないのは「男女平等とは何か」、そして「我々はどのような社会を目指すべきか」ということだ。もはや「平等」という概念が形骸化し、ただ自らの主張の盾として利用する人々も散見されるからである。
私は、「男女平等」とは性別に関わらず自らの望む道を選べることであると思う。決して男女が同じ職に就くことではない。それは個々人が希望したことの結果であるべきで、目的と取り違えてはならない。
そして私たちが目指すべき社会とは、「個人の希望を許容できる寛大な社会」ではないだろうか。つまり、制度的に大きく自由が認められており、個人が自分の望む選択をできる社会。必ずしもそれぞれの職種における男女比率が等しくないかもしれない。けれどそれでいいと思う。「平等」はそこでこそ実現する。

冒頭の彼女の主張に欠けているのは、私たちが「平成生まれの」「若い」女性であるという事実への考慮だと思う。実際、私たちの世代でまわりを見渡しても、制度的にも人々の意識的にも女性差別は見受けれられないということには私も同意する。むしろ社会は若い女性にとても優しい。
一方で、現在教授職についている人々は、寿退社を当然してきた世代の人間である。世代差というのはやはり大きい。彼らは「男女が平等ではない」社会(それは必ずしも悪しきことではなく、ただ強い男性、恭順な女性を理想とするような文化である。繰り返すが私はそれが悪いとも後進的だとも思わない。ただ「そういう文化」であっただけである。)で育ってきたのだから、彼らにとって当たり前のことは私たちにとってのそれと全く異なるのだ。(そして付け加えるなら、人間は年を取ると自分の考えを根本的に変化させることがなかなか困難になる。もちろんプライドもあるだろう。最近よく思うのだが、今回の話に限らず、上の世代の人を言い負かそうとするのはやめた方が良い。あまり良い結果を招かない。)

そろそろ私たちは男女の身体差というものを認めなければならないと思う。人権という意識が拡大し、男女平等が叫ばれ、いくら制度上男女が等しく扱われるようになっても、身体差というものは依然として存在する。社会が制度的に成熟しても、私たちは生物として進化したわけではないのだ。「とにかく扱いを完全に同じしなければならない」という意識は非合理的だ。とりわけ、やはり「出産」という存在は大きい。出産するということは近年あまりにも軽視されているように感じるし、仕事を続ける上での足枷のような扱いを受けるのはおかしいのではないかと思う。子どもが生まれなければ私たちは種として断絶してしまうということをお忘れではないだろうか。

もちろん、「産まない」という選択肢もある。それは女性個人の自由である。そして「産む」自由もある。さらに言えば結婚するしないも自由だし、パートナーが異性でも同性でも良い。
重要なことだが、これらの選択は個人の理念にのみ起因し、公共の福祉と衝突しない。そうであるのに、他人の選択に口を出すような理念のぶつけあいはあまりに非生産的ではないだろうかと、ずっと思っている。(しかし私のこの主張もそれに含まれるひとつだという矛盾に頭を悩ませながら、今日は眠ろうと思う。)


2014年1月11日土曜日

『永遠のゼロ』



映画「永遠のゼロ」を観ました。作品に戦争というものを含む以上中立を保つのはとても難しく、そのバランスが「風立ちぬ」はとても上手かったのだなあと思いました。何年か前に百田尚樹の原作は読んだもののあまり内容は細かく覚えていないこともあり、原作は関係なく映画単独としての感想を少し書きます。内容についての記述がありますのでこれから観るという方はご注意願います。


まず、三浦春馬演じる健太郎とその姉の必要性がほとんど感じられませんでした。彼は映画のストーリーの中では宮部に並ぶ主人公でありながら、部外者感があまりにも強すぎる。彼の感情を介入させることでむしろ話の深みが削られている。というのも、主題である宮部久蔵(岡田准一)と彼の間に具体的な関係性が存在しないのです。単に孫であるというだけ。宮部は戦死しているので当然ながら彼らの間に面識はなく、例えば写真であるとか直筆の記録であるとか、そういう遺品を健太郎が手にしたわけでもない。司法浪人である健太郎が宮部について調べ始めるのは、フリーライターである姉にアルバイトとして手伝うように言われたからです。そしてその姉の動機も、戦後60周年記念にパイロットだった祖父についての本を出版したら売れるのではないかという不純なものなのですよね。そんなわけで、この姉弟が宮部の話に対してとるリアクションがとても不自然に見える。客観的に彼らの感情を追うと「ネットで検索して出てきた戦友会に手紙を送って、返事をくれた人たちに話を聞きに行ったら、私たちの祖父を褒めてくれてなんだか嬉しい」の域を出ないような気がするのです。(ついでに、当初の目的は「本の出版」でありライターを本職とする健太郎の姉が、話を聞きながら一度もメモをとったり録音したりしなかったのが少し気になりました。)

それから、戦時中の愛や友情やプライドなどといったものをすべて現代の価値観で解釈してしまったこと、それが一番残念でした。これはまた、姉弟の存在が余計だったと感じさせた最大の要因でもあります。宮部が妻に「必ず生きて帰ってきます、腕を失くしても、足を失くしても、例え死んでも生まれ変わってあなたのもとへ帰ってきます」と言ったという話を聞いて、健太郎の姉が「祖父は妻と子どもを愛していたのですね」と言うのですが、そんなことは言わなくて良かったと思うのです。単純化。あまりに短絡的。話をした井崎という老人が「あなたたちの言葉で言えばそうかもしれませんね」と返しますが、そこにある全肯定ではない理由に彼女は気付きません。時代が変われば、特に戦時中と今では、社会背景が違い、環境が違い、人々の間に共有されている道徳も美徳も違い、当然同じ言葉でも含むものが変わります。それを彼女のこの一言が全て殺してしまった。単に夫婦愛や親子愛を描きたかったのなら良いのかもしれませんが、零戦や特攻を映画の中心に据える以上それはリスクが高すぎます。

また、結局宮部の特攻についての記録は何も残っておらず、且つ誰の記憶にも残っていないのに、最後のシーンでは健太郎の妄想(というと聞こえが悪いですがそういうほかない)で宮部の敵母艦への特攻を成功させるのです。ここまでは誰かの記憶であったのに、急に完全なフィクションになってしまう。しかも戦友たちではなく、毎日をだらだらと過ごす二十六の司法浪人の妄想。ちょっと、何か、それは違うだろう。彼の中で組み立てられた祖父の理想像に過ぎないものを、よりによってラストシーンにするなんて。ここでの岡田准一の表情が素晴らしかっただけにもったいないなあと思いました。


しかし、戦時中のシーン(つまり回想録)はとても良く出来ていたと思います。宮部が特攻の前衛に失敗し、教え子たちが敵機にたどり着く前に撃ち落とされてしまったことを、犬死にすべき人間ではなかったのだと景浦に訴える場面。宮部の気迫も、ライバル視していた宮部に(おそらく)同情を感じた景浦のうろたえる表情も素晴らしかった。何度も涙を誘われました。

どうしても「風立ちぬ」と比較してしまいますが、この時期に公開したのだから制作側もそれは理解しているのでしょう。今回映画を一緒に観た人が、「風立ちぬ」はあれ以上飛行機愛を描くと戦争賛美のようになるし、かといって戦争についてあれ以上触れないと次郎の飛行機愛が伝わらないので、そこのバランスがとても上手くとれていたと話していたのですが、まさにその通りだと思います。バランス。戦争、非常に難しいテーマです。それを主題にせずとも、持ち出した時点で何かしらの強いメッセージを発してしまう。「風立ちぬ」は次郎が戦争についての見解を語らないことで、ある意味上手く逃げていたのだろうと思います。何か語れば、どうしても矛盾を孕んでしまう。彼はただ飛行機を愛していた。それで良いのです、とても美しい映画でした。

まわりの友人たちは「永遠のゼロ」を絶賛している人が多いので、このようなことをブログに書くのは躊躇われたのですが、私の感想としてはこのような感じでした。
このブログ、私のツイッターからのアクセスがほとんどなので、bioにこっそりアドレスを載せているだけなのに意外と見ている人が多いことに驚いています。もし良かったら、読んでいるよと教えてくださいな。

(写真:一月上旬、神戸市内にて撮影)