2013年12月15日日曜日

パティシエという職業について




私はケーキ屋でアルバイトをしています。
地域一帯の市場を独占し、40年以上続いているそこそこ大きなお店です。

この春からお店に入ってきた、二人のパティシエの話をします。

一人は、研修に来た去年の冬にはまだ高校生だった、可愛らしい男の子。彼は製菓の専門学校へ行くお金を貯めるためにアルバイトとして入社しましたが、専門学校へ行かずこのまま店で腕を磨けという勧めに応じて春からパティシエになりました。彼がパティシエを目指したのは、洋生菓子の美しさに憧れてのことでした。鮮やかに形作られた飴細工やチョコレートは眉目麗しく、艶やかなナパージュをかけられたフルーツののったガトーは彩りも輝かしい。しかし、そこへたどり着くまでの道のりは途方もなく長いのです。
厨房において、彼は長いこと焼き菓子を担当していました。彼はその腕を見込まれ、焼き菓子をある程度任されていたので、毎日ほとんど一日中、同じものを焼き続ける状態でした。これくらいの規模の店となるとよくあることですが、いろいろなことをやらせてはもらえないのです。店としての生産効率を上げるために、一人の人間が同じ工程を繰り返します。彼はこれに耐えきれませんでした。自分が作りたいのは生菓子であって、焼き菓子には魅力を感じられない。その考えが甘いのもこの過程がパティシエとして重要であることも分かっているし、周りのパティシエはそれに耐えているのに弱音を吐いてしまう自分にも嫌気がさす。

そしてある日、彼はお店に来なくなってしまいました。専門学校に通わなかった彼は、同じ道を志す友人がこのお店以外におらず、悩みを相談したり愚痴を言ったりできなかったのだろうと、同期の人は言っていました。ただでさえ若く、自分の将来に悩む時期に、一時の激情で居場所を捨ててしまうのはあまりにも惜しいことだと思います。何よりも彼は、生菓子をとても愛していました。今、どこかで、彼が自分の愛するものと向き合えていることを祈っています。


もう一人は、専門学校に二年通った女の子です。年が近いということもあり私は彼女ととても仲良くなりました。言ってしまえば完全な妹キャラで、おっちょこちょいで、みんなから愛されるような子です。そしてとても努力家なのです。
今日、私は初めて彼女の涙を見ました。とても理不尽なことで叱られたのです。このクリスマスシーズン、ケーキ屋は一年で一番の繁忙期の直中です。そんな中、彼女の仕事のスピードが遅く、お店に出すケーキが間に合っていない。自分の仕事をきちんと管理しろ、と。詳しくは述べませんが、私が彼女と仲が良いという立場を抜きに考えても、それは彼女のせいではないのです。本来彼女のすることではない仕事まで請け負っているせいで、本来の仕事に手を回すのが遅れるのですが、結果として作業が遅れてしまえばそれは彼女の責任です。

彼女は決して人前で泣かない人でした。どんな理不尽なことを言われても頭を下げ、弱音を吐かず、頑張りますと言い続けてきました。精神的な原因だけでなく、身体的に疲れていたこともあるのでしょう。元気な時だったら、涙など流さずに後から笑い飛ばしていたかもしれません。それでも、あの時彼女が見せた表情は、私の心を大きく揺さぶりました。


パティシエという職業は、造り出すものの繊細さや美しさとは裏腹に、本当に体力を必要とする肉体労働だと思います。大きなオーブンで一度にいくつもの生地を焼き、大量のクリームを混ぜ合わせ、お客様からの詳細な注文に応えなければなりません。火傷をしても気にしてはいられません。専門学校を卒業しても、お店に入れば掃除からのスタート。ナッペや絞りの練習にたどり着くまでに何ヶ月もの時間がかかります。悩みは数多く、それぞれに考えることと店の方針が違うことも少なくありません。

それでもやはり、みんなお菓子を作ることが好きなのです。生クリームとジェノワーズのバランスによって受ける印象が全く変わってしまうこと、テンパリングの温度が少しずれるだけでチョコレートの美しい艶が出なくなること、何よりも第一においしくなければならないこと、製菓について語る彼らの真剣さを、私はとても尊敬しています。
そしてこの気持ちが、私がここで働きつづける理由にもなっているのです、きっと。



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